2013年03月23日

オカマ板前と春樹カフェ(9/49)

 話が違うと言って断ることも出来た。しかし「女の子の格好をしてみたい」という気持ちも、無視し切れないほど膨らんでいる。間違った場所で間違ったことをし続けているような違和感から、今度こそ逃れられるかもしれない。
「女装を始めた途端に夢中になって基礎化粧品を使い出す人がいるけど、かえって肌が荒れることもあるのよ。あなたはもともと肌が綺麗だから、スキンケアは今まで通りで良いと思う」
 ナナさんという先輩が、あたしにお化粧をしてくれた。声がハスキーだし、オカマバーで働いているってことは男の人なのだろう。ゾクゾクするような大人っぽい美人で、外を歩いていてもみんな女だと信じて疑わないはずだ。
「ヒゲの永久脱毛もしないで。ずっとここで働くつもりじゃないでしょ」
「すみません」
「あんまり長くやってると化け物になっちゃうから」
 奥山に猫又というものありて、と呪文のようにつぶやきながら、ナナさんはあたしの唇に口紅を塗る。
「こうやってティッシュを口にはさんで」
 ナナさんがやった通りにすると、オレンジがかったピンクの口紅がティッシュにべったりついた。もう一度紅筆で口紅を載せてゆく。
「面倒だけど、重ね塗りした方がメイクが長持ちするの。早く一人で完璧にお化粧出来るようになってね」
「見て覚えます」
「良いお返事」
 ナナさんがふふふと笑って目を細める。
「あなたが元板前だってことは思いっきりネタにするからね」
「でもあたし、本当は板前じゃなかったんです。下働きだけで辞めちゃって……」
 泣いちゃダメだ。せっかく丁寧につけてくれたマスカラが落ちてしまう。ナナさんは紅筆であたしの口をふさいだ。
「三年も修行に耐えたら十分」


posted by 柳屋文芸堂 at 00:56| 【中編小説】オカマ板前と春樹カフェ | 更新情報をチェックする
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