2013年03月23日

オカマ板前と春樹カフェ(21/49)

「わかりあえる?」
「気持ちがよ」
 僕は戸口から首をつきだして台所をのぞいた。スパゲティーの鍋からは白い湯気が立ちのぼり、アバドは『泥棒かささぎ』の指揮をつづけていた。
「悪いけど、今スパゲティーをゆでてるんです。あとでかけなおしてくれませんか」
「スパゲティー?」、女はあきれたような声を出した。「朝の十時半にスパゲティーをゆでているの?」


 コピー用紙の端から端まで読んでも、このスパゲティが何味なのか全く分からない。たらこか、きのこか。それともオリーブオイルだけのあっさりしたものなのか。
 スパゲティを茹でている男の人は、失業中だと書いてある。女の人は何者なのか分からない。分からないことだらけだ。
 二枚目の文章は、細かく材料が書いてある。これなら作れるかもしれない。

 彼の勧めるサンドイッチは見るからにおいしそうだった。僕は礼を言って、それを受けとり食べる。柔らかい白いパンにスモーク・サーモンとクレソンとレタスがはさんである。パンの皮はぱりっとしている。ホースラディッシュとバター。
「大島さんが自分でつくるんですか?」
「ほかに誰もつくってくれないもの」


 ホースラディッシュって何だろう。後で調べてみよう。この大島さんという男の人は、食べ盛りの男の子を心配して、サンドイッチを作ってきたのだ。この二人はこれから恋に落ちるんだろうか。ちょっと先が気になる。
 次の紙の左半分はイラストだ。羊の着ぐるみを着た男が、公園でドーナツを食べている。絵本かな。とても可愛らしい。

「本当じゃよ」と羊博士は言った。「夕方の六時に私の家に来なさい。良い方法を教えてあげよう。ところでそのシナモン・ドーナツもらっていいかね?」
 そして羊男が「いいですよ」とも「どうぞ」とも言わないうちに、ドーナツをつかんでむしゃむしゃと食べてしまった。


 あたしはこのドーナツの食感が分かる気がした。「サクッ」ではなく「ムチッ」だ。かじったあと唇に残る、甘い香りのシナモンシュガー。
 小学校の国語の授業で習った「注文の多い料理店」を思い出した。どんなストーリーだったか全然覚えてないけど、すごく美味しい牛乳のクリームが出てくる。あたしはそれをぺろりと舐めた。言葉として読んだだけなのに、実際に口の中で溶けていったのだ。
 周平さんも、村上春樹の料理を何度も食べたはずだ。きっとその味を覚えている。あたしがどんなものを作っても、
「これじゃない!」
 と叫ぶかもしれない。それなのに何故か、不安を感じなかった。成功するかなんてどうでもいい。胸の中で闘志が燃えるのを感じる。とにかくやってみたい。
 作ってみせようじゃないの。
 最高の、春樹カフェの料理を。


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スパゲティは「ねじまき鳥クロニクル」
サンドイッチは「海辺のカフカ」
ドーナツは「羊男のクリスマス」
からの引用です。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:46| 【中編小説】オカマ板前と春樹カフェ | 更新情報をチェックする
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