2010年11月28日

大賢者大森賢五郎(その11)

   あとがき

 あとがきには、『大賢者大森賢五郎』を書き終わらせるために、どれだけ苦労したかを書くつもりでいました。確かに、執筆中何度も何度も、
「ぎゃあ〜 うまくまとまらない〜!」
 と叫んだ記憶があります。けれど実を言うと、具体的にどのように苦労したのか、あまりはっきりと覚えていないのです。
 大体、これってどんな話だっけ?(それは忘れ過ぎ)
 今、ざっと読み直してみましたが、けっこう面白くないですか?
「わあ〜 まるで私みたいな主人公! とっても共感出来るわ。」
 はい。バカです。忘れるというのは素晴らしい事ですね。私以外の人が共感してくれるのか不安ではありますが、とりあえず私は楽しめました。
 書き始めたきっかけはよく覚えています。二年程前、私と私の仲間は、「社会的にひどい目」に遭いました。あいまいな言い方しか出来なくてごめんなさい。でも、それは卑怯でずる賢く、ある意味目から鱗が落ちるような驚きの経験でした。
 当然私は嫌な気持ちになりました。心労がたたって、作中のきみ子や優子のように、体も壊しました。けれども一番許せなかったのは、私の大好きな仲間が精神的にも経済的にも傷付けられた事でした。
 憎しみ。恋愛関係の愛憎以外で感情を高ぶらせるのは珍しいのですが、私の心にどす黒い色をした憎しみがわっと広がり、それは瞬く間に物語へと姿を変えていったのです。
 この物語に良い点があるとすれば、憎しみから生まれたにも関わらず、それが読者にはあまり感じられない所だと思います。言わなければ分からないくらいなのではないでしょうか。実際、この物語を書き終えた時、私の中の憎しみは跡形もなく消え去っていました。まあ、もともと恋愛関係以外の感情を長持ちさせられない人間であるせいかもしれませんが。
 全てはきみ子の甘い思い出の中に。男の事を考えてうっとりする以外に、人生においてやるべき事なんてあるの? それはきみ子と私の共通認識であり、強い信念でもあります。
 ところで、作中に何度も出て来る「ダメ男」って何でしょう。
「自分も他者も愛する事が出来ない」
「世の中に上手く適応出来ない」
「虚無に飲み込まれてしまう」
 などなど、色々なタイプの「ダメ」があると思います。もちろん、
「それは『ダメ』なんかじゃない。バカにするな!」
 と怒る方もいるかもしれません。けれどもこの単語を愛する私はあえて言ってしまう。「ダメ」とは「人間性」の事なんじゃないか、と。

 それでは、またどこかでお会い出来る日を楽しみにしています。

 二〇〇四年 梅雨の午後に
 柳田のり子
posted by 柳屋文芸堂 at 23:44| 【長編小説】大賢者大森賢五郎 | 更新情報をチェックする