2010年06月01日

ど素人南イタリア旅行記(その4)

3−2、南イタリア旅行2日目(5月27日) アルベロベッロ
 
 6:30頃起床。
 モーニングコールがあると聞いていたが、特に何もなかった。
 はて?
 私たちは目覚まし時計を持って来ているので問題なし。

 荷物を片付けて朝食へ。
 目玉焼き、ベーコン、ハム、チーズにパン。
 パンはフランス風の堅めのものと、カステラに似た甘くやわらかいものが、ともに薄切りになって置いてあった。

 ネットで情報を集めている時に、
「イタリアのホテルの朝食は質素で、日本人は不満に思う人が多い」
 というような文章を見つけたけれど、私とDちゃんは全くそんな風に感じなかった。

「確かにメニューは地味だ。でもどれもすごく素材の味が良いよ」
「うん、目玉焼き一つ取っても、日本のよりずっと美味しい」
 さっそく海原雄山夫婦になる二人。
(※海原雄山とは、漫画「美味しんぼ」に出て来る美食家。北大路魯山人がモデルらしい)

 満腹になるまで食べ続けたいのをぐっとこらえて、ホテルの入り口に集合。アルベロベッロのトゥルッリ群のある地区へ。徒歩で10分ほど。写真通りの可愛らしいトンガリ屋根と白い壁が見えてくる。この地区に住む唯一の日本人ヨウコさんのお店の屋上に上がり、トゥルッリ群を眺める。うん、なかなか絵になってる。しかし私の書きたい小説の主人公は盲目なのだ。目ばかり使っていては意味がない。歩きたい。感じたい。

 1時間ほど自由時間をもらえたので、Dちゃんと二人きりで散歩に出る。トゥルッリは丘の上に固まって建っているため、ほとんど坂道ばかりだ。足に気持ちを集中する。石畳の感触は日本の段差の多い道とそれほど変わらない。Dちゃんと手をつないで、そっと目をつぶる。鳥の声が美しい。イタリアの鳥だけあって、
「ピルルルルルルル〜♪」
 とRの発音が上手だ(巻き舌。私はこれが出来ない)
 空を見上げると、ツバメに似た鳥が沢山くるくる回っている。

 小さな教会があり、中から神父さんの声と音楽が聞こえる。そう言えば今日は日曜だった。ミサの最中に行き合えるとは、なかなかの幸運。道を歩いていると、お土産屋さんに声をかけられる。
「おはよう! お土産あるよ」
 日本語だ。

「アルベロベッロはおとぎの国のようだと聞いていたのに、日本語の呼び込みが多くて幻滅した」
 という情報があったが、なるほどこれの事か。がっかりするのも無理はないけれど、遠い国の小さな街で、日本語を勉強する人がいるなんて素敵じゃないか。たとえ日本人観光客の落とすお金が目当てでも、さ。

 お土産屋のおばちゃんは漢字の書いてあるポスターを振って叫ぶ。
「白川郷と姉妹都市だよ!」
 だから何だ?
 仲が良いんだから買っておくれ、という意味だろうか。
 旅行2日目で荷物を増やす訳にはいかないんだよ。
 すまん。

 数々の呼びかけを、
「Grazie(グラッツィエ).(ありがとう)」
 でやり過ごし、メインストリートから一本はずれた道へ。
 急に静かになる。
 ざらざらした白い壁。
 誰もいない坂道。

 ジャスミンの花があちこちに咲いていて、時おり甘い香りにふわりと包まれる。
 Dちゃんと二人きりで、異世界に放り込まれたようだ。
 幸せ。

「あの音、何だろう?」
 ギンゴンガンゴン、ギンゴンガンゴン。
 速度は学校のチャイムの2〜3倍。
 最初、子供が鉄の柵でも打ち鳴らして遊んでいるのかと思った。
 しかしそれにしてはずいぶん大きい。

「教会の鐘みたいだね」
「鐘?! これが!?」

 鐘の音というのはもうちょっとゆったりしたものだと思っていたが。
 田舎の街らしくて良いとも言えるけど。

 トゥルッリ群のある丘を下り、ホテルまでの道をゆっくり歩く。来る時は通り過ぎるだけだった色とりどりの花や、オリーブの木を楽しみながら。畑の中には茶色いトゥルッリ形の小屋がぽつんと建っている。選挙が近いのか、政治家のポスターらしきものも見た。これからトゥルッリ群に向かう日本人観光客の団体とすれ違う。

「海外旅行ってこんなものなんだろうか?」
 急にDちゃんが言う。
「『外国に来た!』という感じがあまりしないのは何故なんだろう。ツアーだからだろうか」
「Dちゃんも? 実は私も思ってたんだよね」

 異国情緒はあちこちにあふれている。
 トゥルッリしかり。
 広場を駆け回る子供たちの話すイタリア語しかり。
 しかしそれらを圧倒する、この「日本っぽさ」は何だろう?

 Dちゃんと考えてみて出た結論。
「これ、浦安だよ!」

 まず、緯度が日本とそれほど変わらないため、温度変化がなかった。
 さらにアルベロベッロの特徴なのか今の季候のせいなのか、湿気の多い風がびゅうびゅう吹いている。これは私たちが今住んでいる、海辺のネズミ帝国、千葉県浦安市にそっくりではないか。観光客がやたらにいる所も似ている。
 排気ガスの量と道の狭さも。

「どうも私も頭の中に境川(浦安市の真ん中を流れる川)がチラチラしていたんだよねー」
 全く外国のどこに「日本」がひそんでいるか分かりゃしない。
 1時間なんて短いと思いきや、様々な発見のある楽しい散歩であった。

 ホテルに戻り、出発前にトイレを借りる。
「C'è(チェ) una(ウナ) bagno(バンニョ)?(トイレはありますか?)」
 イタリア語が話したくて、わざわざホテルの人に尋ねる私。
(残念ながら una(ウナ) ではなく un(ウン) が正解)
 ジェスチャー付きで場所を教えてくれた。

「Grazie(グラッツィエ).(ありがとう)Arrivederci(アッリヴェデルチ).(さようなら)」

 集合の声がかかる。
 ホテルを後にし、観光バスでマテーラに向かう。

 私はツアーを選ぶ際、
「バスでの移動時間はムダな時間だから、なるたけ短い方が良い」
 と考えていた。
 けれど、バスの中から風景を眺めるのもそう悪くはない。
 広々とした田園地帯に、たる形にまとめた大きなわらの束がゆうゆう沢山並んでいたり、牛がのんびり草を食んでいたりして、非常にのどかだ。

「北海道旅行を思い出すなぁ」
「僕は北海道に行って、こういうヨーロッパの風景を思い出したよ」

 Dちゃんは小学校入学前まで、フランスに住んでいた。その当時の記憶はほとんど残っていないし、フランス語もすっかり忘れて話せない。それでもDちゃんには、いまだに日本になじみきれていないような、不思議な雰囲気がある。きっと心の最も深い根元の部分が、日本ではない場所につながっているのだろう。

 目の前にいるのに、はるか遠くにいるような。
 その違和感に、私は恋をしたのだ。

「のりにこの風景を見せたかった。言葉ではうまく言えないから」
 私もDちゃんの大切なものが見られて嬉しいよ。

 1時間半ほどでマテーラに到着。
 ここには渓谷の岩盤に穴を開けて造られた洞窟住居があり、サッシと呼ばれている。簡素で小さい箱形の家が無秩序に密集しているだけで、見た目は地味だ。しかし街の中を歩いてみると意外に面白かった。

 ここにはもともと貧しい人たちが住んでいたのだが、50年ほど前、不衛生な環境を問題視した政府によって、住民全員が新市街に移住させられた。現在は多少人が戻って来たものの、やはりほとんどの家は無人で、街そのものが「廃墟」として保存されている。そのたたずまいが妙に物語めいているのだ。うねうねと曲がった石畳の道は転びやすく、宮崎駿っぽい(またアニメだよ)

 Dちゃんは、
「こういう所だと、逃げ甲斐があるね」
 なんて言っている。
 何故逃げる?

 かつての住民の暮らしを再現した場所も興味深かった。家の中で馬やロバを飼ったり、子供をたんすの中に寝かせたり、異常に足の長いベッドがあったり(下でニワトリを飼うそう!)貧しいから仕方ないとはいえ、けっこうとんでもない。私はこういう郷土色の強いものを見るのが大好きなのだ。
「いつか小説の中で使えるかも」
 と思うから。

「パンフレットがあれば絶対買うんだけどなぁ……」
 そこまでの郷土資料マニアはいないらしく、見つからなかった。それでも、分かりやすい日本語の解説が放送で流れたから良しとしよう。
「まあ、こんなに日本から遠い地で、これほど正確な日本語を流すとは、素晴らしい!」
 と思ったのもつかの間、
「最後まで注意してくれてありがとうございます」

「注意してくれて」?
 ううむ、終わりの文章だけがちょっと微妙。
 あの原稿は一体誰が書いて誰が読んでいるのでしょう。
 立派なものです。

 サッシの見学を一通りしたら、近くのレストランに昼食へ。まずはトマトソースをからめた「strascinati(ストラッシナーティ)(耳たぶの形をしたパスタ)」 南イタリアらしいメニューに感激。味も良かった。サラダが続き、その後は「ローストビーフ」と聞いていた。

 私とDちゃんは、狂牛病騒ぎが起きてから一切牛肉を口にしていない。
 イタリアで狂牛病が人に感染したという情報もあり、
「旅行中も牛肉は食べないようにしようね」
 と決めていた。

 ところが出て来た肉、どうも豚のように見える。
 それでも心配だし、食べ過ぎ防止にもなるし、手を付けずにいた。
「食べないの?」
 同じツアーのおじさんに声をかけられる。
「ええ、牛は食べないんです」
「宗教みたいだなぁ」

 茶化すような言いぶりにカチン。
 人が何を食べようと食べなかろうと、勝手ではないか。
 それに私の「食べない理由」が本当に宗教だったとしたら、かなり失礼な発言だ。
 私が無言でいると、
「狂牛病のニュースを聞いてから食べなくなって……」
 Dちゃんは律儀に笑顔で説明している。すると隣の席のお兄さん、
「これ、豚ですよ」

 やっぱりね。
 私はもうこれ以上ゴチャゴチャ言われるのがイヤなので、すごい勢いでロースト「ポーク」を口の中に押し込んだ。
「Non(ノン)、のり」
 不安のあまり(?)フランス語になるD。
「豚だよ。見てすぐそう思ったもん。しょっちゅう料理に使うんだから分かるよ」
 と言うより、この肉が牛だろうが豚だろうが羊だろうが、この不愉快な時間をとっとと終わらせたいの。

「そう……? そう言われてみると、しょうが焼きを思い出すような……」
 Dちゃんもおずおず食べ始める。
 ああもう、ツアーというのはこんな風に干渉されながら飯を食わねばならないのか。

 デザートの果物の盛り合わせを食べ終わると、ツアーの人たちはおしゃべりに花を咲かせた。
「どちらにお勤めなんですか?」
「○○商事の△△課で□□の仕事をしているんですよ」
「まあ、○○商事さん? 私の主人は××商事で……」
 は? はい??

 何ですかこの会話。
 大金払って南イタリアくんだりまで来て、何故日本の会社の話をするんだ?
 それもほとんど初対面みたいなものなのに、会社名から勤務する課の名前まで言って。
 さっぱり意味が分からない。

 おじさん・おばさん軍団はそれぞれの住所・勤務先・仕事内容を教え合うと、今度は若いカップルたちから同じ事を聞き出し始めた。
「これが世に言う『戸籍調べ』か……」
 私たちも当然話しかけられたが、話を膨らませないよう、なるたけ短く返事をした。
 餌食にされてたまるものか。

 食事中の出来事がストレスになったのか、ナポリに向かうバスの中でセキが止まらなくなった。涙が出る。2日目だというのに自分用に持って来た南天のど飴がもうなくなってしまった。Dちゃんからヴイックスドロップをもらう。私の心身は人間関係にからきし弱い。そしてあからさまだ。

 ナポリまでは約3時間半。
 途中、autogrill(アウトグリル)(イタリア版ドライブイン)に立ち寄る。トイレの前には大きな皿が置いてあり、おじさんが座っている。チップが必要なのだ。私は20セント(※100セント=1ユーロ)をチャリン。

「お金出してこれかい〜」
 トイレには便座が付いていなかった。
 壊れているのではなく、最初からない。
 トイレットペーパーで便器を拭いてから座った。

 売り場の方に行くと、Dちゃんが買い物をしていた。
 手にしているのはキットカットとアクエリアス。
「日本で買えるものばっかりじゃん!」
「いつものものが欲しくてね」
 洋ナシのチョコも購入。相変わらず甘党のD。

 バスの中では、うたたねしたり、窓の外をぼんやり眺めたりしながら過ごした。私は主婦だから、あちこちに干されている洗濯物が気になって仕方ない。何本か渡したロープに、洗濯ばさみで留められたシャツやズボン。イタリア人は角ハンガー(四角い枠に、洗濯ばさみが沢山付いているもの)を使わないのだろうか?

「干すスペースがいっぱいあるからいらないんだろう」
 というのがDちゃんの意見。
 なるほど。
 角ハンガーは日本の狭い庭やベランダのためにあるのね。

 ナポリに近付くと、壁の落書きが目立つようになって来た。
 スプレーで同じサインが繰り返される。
 日本のものとそっくりだ。
 イタリアにも暴走族がいるのだろうか。
 そういえばアルベロベッロでそんなような音を聞いたが。

 選挙のチラシもよく落ちている。
 ポケットティッシュほどの大きさの紙に、人の顔。
 これをばらまいて宣伝するのだろう。

 17:30頃、ホテル「Holiday(ホリデー) Inn(イン) Naples(ネイプルズ)」(Naples(ネイプルズ) は英語でナポリの事)に到着。夕食は19:30からなので少し部屋でのんびりする。ベッドが広く、快適。

「シーツと枕があんまり綺麗じゃなくて、イマイチ」

 Dちゃんは不満な様子。
 確かに素晴らしいとは言い切れないけれど、無難なビジネスホテルだ。
 バスルームも日本のものと変わらない……
 と思ったら、難点発見。
 トイレの水を流すボタンが使いにくいのだ。
 ちょっと押しただけでは何も起きない。

 ううむ、どうしよう。
 あれこれ試した挙句、成功したのはこれ。
「かーめーはーめー波ー!!」
 手に力を集中させて、一気に押す。
 ジャーッ!
 ようやく流れてくれた。
 ふうー。

 軽く昼寝をした後、ホテルのレストランへ。
 ここではおじさん・おばさん達とは違う席になった。
 ホッとしたのも少しの間。

「ハハハハハハ!」
「ホホホホホホ!」

 とんでもない笑い声が、隣のテーブルから響く。
 音程・音量ともに常識をはずれた高さ。
 ワインがタダで付いたのが災いした。
 何事か、と他の外国人のお客さんや従業員がいっせいに振り向く。

 ここはそういう風に騒ぐ場所ではないと思うのだけどな……
 一応「ディナーをいただく」という雰囲気になっているのだから。

 壁際の席になったのは、
「酒を飲んで騒ぐ日本人」
 という印象が最初からあって、隔離されたのだろうか。

 メニューは生トマト入りボンゴレスパゲッティ、サラダ、カジキマグロのグリルに、ババ(ナポリ名物の甘いスポンジケーキ) 味は悪くなかったけれど、とても長居する気になれず、急いで食べて慌てて退散。

「何なの、あの人たち?!」
 部屋に帰って怒り爆発。
「いやあ、すごかったねぇ」
「『ツアーだとゆっくり出来ないかな』とか『食べ物が美味しくなかったらどうしよう』なんて心配は、来る前からしてた。でも、他のツアー客にこんなに悩まされるなんて思わなかったよー!!」

 全く私は浅はかであった。

「イタリアに来てまで日本の会社の話をしたりするのも、変だし」
「あれはまあ、そんなに驚かなかったかな」
「どうして?!」
「ああいう人たち、どこにだっているから」
「私の周りにはいない」
「のりの周りは変わっている人が多いじゃん」

「類は友を呼ぶ」で、私の周囲には芸術家肌の人が多い。みんな多少気難しい所があったりするが、「社会的価値観」より「自分の価値観」を大切にするので、とても付き合いやすい。
「私のいる環境が特殊なのか……」
「会社にいればよく会うよ」
「専業主婦の暮らしが長くなって、もともと足りなかった社会性が、いよいよなくなってしまったのか」

 ううむ、衝撃の事実。

「でもさあ、前に母親とツアーで北海道に行った時は、こんな思いしなかったよ」
「確かにあの騒ぎ方は異常だよね。いや、まいった」

 単に運が悪かったのかもしれない。

 怒りのあまりゴホゴホとセキ込みつつ、シャワーを浴びて就寝。
 バスタブの狭さや、お湯の温度調節の難しさより、明日も明後日も続く集団行動がひたすら憂鬱であった。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:30| 【旅行記】南イタリア旅行記 | 更新情報をチェックする