2009年12月13日

ど素人「狂言」談義(その3)

・妖怪狂言

 狂言に興味を持ちつつも、仕事の都合でなかなか劇場に足を運べず、放送大学の演劇に関する授業や、NHKの伝統芸能に関する番組の中でしか、狂言を見る事が出来ませんでした。

「狂言を生で見たい!」

 その思いは、ひょんな事からかなう事になりました。

 友人の結婚式の帰り、京極夏彦作の新作狂言を上演する会、その名も「妖怪狂言」のポスターが目に入りました。
「へ〜 見てみたいなあ」
 と思いつつ、公演日は平日。
 普通だったら仕事で行かれません。

 しかし、その時幸運(?)にも、職場が傾きかけていたんですね。
 詳しくは書けませんが、いつ職を失ってもおかしくない状況でした。

「じきに無くなってしまう職場」
 と、
「妖怪狂言」
 を天秤にかけた結果、
 カターン!
 と音を立てて、
「妖怪狂言」
 の載った皿が下に下がった訳です。

「この日、狂言を見に行きたいのですが……」

 万年人手不足の職場で、普段なら許されない私のわがままが、この時は軽〜く通りました。

「そうねえ、その頃はもう閉店してるでしょ!」

 実を言うと、閉店に関する話がもつれにもつれ、公演日当日、まだお店は営業していました。
 職場の仲間も本人も、苦笑いするより他ありません。

「えへへへ、申し訳ない〜」

 と中途半端な詫びを入れつつ、私は色々な意味でゴタゴタした職場を抜け出し、「妖怪狂言」の会場へと向かったのでした。

 演目は古典の『梟(ふくろう)』と、新作『狐狗狸噺』『豆腐小僧』の三本立てです。
 どれも、これから狂言を見始めよう、とする入門者には最適の作品でした。
 新作はどちらも面白く分かりやすく、それでいて、
「現代演劇では出せない狂言の魅力」
 が初心者にもよく伝わって来ました。

 今になって考えてみると、狂言特有のカラッとした人間描写がよく生かされていたように思います。
 あらゆる分野で立派な仕事を成し遂げてしまう京極夏彦さんの才能には、驚かされるばかりです。

 もし「妖怪狂言」が新作のみの公演だったら、大きな会場が何度も爆笑の渦に包まれた事も、
「京極夏彦が、現代向けに台本を書いたから出来たのね。」
 と思ってしまったかもしれません。
 けれども古典狂言『梟』が、新作に負けず劣らず面白かったんですね。

 『梟』のあらすじは簡単です。
 登場人物は親と子と山伏。
 親の様子が変なので、子は山伏に祈祷を頼みます。
 祈りとともに鳴き声を上げる親の様子を見て、山伏は梟が憑いたものと判断し、さらに祈りを強くします。
 しかしその努力も虚しく、親の鳴き声は止まず、さらには子まで鳴き始め、最後には山伏も梟にとり憑かれ、ポーポー言いながら退場する……

 な、なんてナンセンスなんだ!
 私は中学校の頃に初めて吉田戦車を読んだ時に感じた衝撃を思い出しました。
 いや、それ以上かもしれません。
 吉田戦車は現代のギャグ漫画、いくら話の流れがムチャクチャでも少しは納得出来ます。
 けれど狂言は古典芸能。
 何代にもわたってセリフを伝え、稽古を繰り返したに違いないのです。

「こんなバカバカしい話を、数百年もやり続けて来た……の?」

 す、すごいぞ狂言!
 私は大昔にナンセンスを愛した人たちがいて、さらにはそれを守った人たちもいたという事に感動しました。

 吉田戦車やしりあがり寿が中世にもいたのだ!

(この二人の漫画は、明るい不条理さが狂言に共通するような気がします。
 まあ、単純に私が好きだから出したというのもあるのですが。)

 私は「ナマ狂言」にすっかり満足し、さらには茂山家の若手狂言師のサインまでもらって、
「絶対また見に来るぞ!」
 と心に誓いつつ帰路についたのでした。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:55| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする