2009年12月13日

ど素人「狂言」談義(その9)

・狂言って何だろう?

 ここまでさんざん好き勝手に色々書いて来ましたが、結局狂言って何なんでしょうか?
 ただのコントでもないし、ただのセリフ劇でもない。

 ちょっと儀式的な所もある。
 でもちゃんと楽しい。

 私には難しい事は分かりません。
(この本と同時発売した『にわか玄人狂言談義』では、無理やり学術的な方向でその答えを出そうとしましたが、あまり上手くいきませんでした。
 そんなの売るなよな……)

 ただ、狂言がこの長い年月、廃れずに伝えられて来たのは、その中に人々が必要としている、
「何か」
 があったからでしょう。

 狂言の公演会場は、いつも若い女性でいっぱいです。
 古くからのファンから見たら、
「ミーハー」
 と映るであろうお客も少なくありません。
(もちろん私は「ミーハー」側の人間です。)

 けれども狂言にとって彼女たちは、思いのほか価値ある存在なのではないでしょうか。

 私も含めて彼女たちは、「狂言」を、
「文化的に重要だから」
 ではなく、
「心が求めているから」
 見ています。

 忙しさから逃れて公演会場に向かい、日常の中で心に沢山ついてしまった小さな傷の痛みを鎮めてもらう。
 「癒し系」という言葉はあまり好きではありませんが、やはり、
「狂言に癒されている」
 事実は否定出来ません。

 狂言の笑いの一番の特徴は、

「祝いの要素がある」

 という点でしょう。

 人間の闇の部分に注目するブラックユーモアではなく、
「笑う門には福来たる」
 の、おおらかな笑い。

 私は、
「毒がなくても笑えるのだ」
 という事を、狂言を見て初めて知りました。

 そしてそれが、笑うその人を幸福にする素晴らしい行為である事も。

 狂言に命を吹き込むのはもちろん狂言師たちです。
 しかし、その「命」をより生き生きしたものに発展させるのは、彼らの活躍を心の底から願い、応援している、「ミーハー」な女の子たちなのではないでしょうか。

 強く必要とされ、上演する。
 観客たちは単純に楽しみ、満足して帰ってゆく。
 狂言にとってその関係は、古典芸能として祭り上げられるより、ずっと大切であると、私は思います。

 狂言は、人を喜ばせるもの。

 簡単過ぎる答えを出した所で、このど素人の狂言談義を終わりにします。
 モダンな印象を受ける装束や、狂言独特の面白い擬音語についてなど、語り残した点もありますが、気になる人は実際に見て聞いて確認してください……
 って、無責任過ぎ。

 本としての「談義」はここまででも、私は「柳屋文芸堂」ホームページの掲示板で、狂言談義をしてくれる相手をいつでもお待ちしています。
 狂言本を二冊書いたからといって、狂言から卒業するつもりはさらさらありません。
 むしろ「ますます盛ん」になる予定です。

 未知なる狂言ファンの皆様、この永遠なるど素人を、これからもよろしくお願いします。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:46| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする