2008年10月21日

その音の響く夜に(その9)

 木製の小さなお膳が三つ並び、その上に朝食がそろえられた。
「美味しい!」
 なっちはご飯と味噌汁を一緒に飲み込んで、すぐさまこう叫んだ。
「オツケがそんなにうまいか?」
「うん!」
 カチャカチャと茶碗を鳴らし、せわしなくかっ込むなっちの姿を、銀は見慣れない動物を見るような目でながめた。
「これ、麦ご飯だね。」
「まさかそれも珍しい訳じゃねえだろうな。」
「ううん。給食にたまに出るよ。プチプチしてて大好き。」
 それを聞いて銀は声を立てて笑った。なっちは味噌汁に浮かんでいる油揚げをはしでつまみながら、何故一太のうちの朝食はこんなに美味しいのだろう、と考えていた。
「分かった! しょっぱいんだ。」
「『吹き』でびっしょり汗をかくからな、わざと塩っ辛く作るんだよ。」
 おかわりした分も食べ終わり、なっちはたくあんをコリコリ噛んだ。空っぽになった茶碗の中に、一太がお茶を注いでくれた。
「ありがとう。」
 のどが渇いていたのですぐに口を付けたが、熱くてとても飲めない。仕方なく茶碗をお膳に戻し、ずっと気になっていた事を尋ねた。
「お母さんはどこかに出かけているの?」
 その言葉が発せられた途端、時が止まったかのように、一太と銀の動きがぴたりと止まった。なっちはそれが触れてはいけない話題であると悟り、「しまった」という顔をした。
 一太はこういう場面に慣れていた。だからなっちが自分を責めたりしないように、表情をやわらかくして、言った。
「うちは母ちゃんがいないんだよ。」
 一太の大人びた気づかいは、なっちをいよいよ後悔させた。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:44| 【中編小説】その音の響く夜に | 更新情報をチェックする