2019年12月22日

この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ(その1)





 彼は僕の歳を訊ね、生まれを訊ね、月収を訊ねる。そして最後に、この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ、と訊ねる。
 三か月後、万年筆はできあがってきた。夢のように体にぴたりと馴染む万年筆だった。しかしもちろん、それで夢のような文章が書けるというわけじゃない。
 夢のように体に馴染む文章を売ってくれる店では、僕はズボンを脱いだところで間に合わないかもしれない。
 村上春樹「万年筆」より


一、私のペン歴

 小学生の頃、私は漫画家を目指していた。漫画の描き方を解説する本でも読んだのだろうか、プロの多くは鉛筆で下書きをし、Gペンや丸ペンで原稿を仕上げるのだと知った。
 Gペンは付けペンの一種だ。万年筆の先を薄くしたような形のペン先を、軸に挿して使う。鉛筆やボールペンは上下左右、どちらに向かっても線を引けるが、Gペンはそうはいかない。角度が悪いと紙に引っかかる。丸ペンはさらに細くて難しい。

 私は練習のために、家で勉強する時にGペンを使うことにした。外出時にも練習したかったが、Gペンはフタを開けたままインクを使う。自分の家以外でインク瓶をひっくり返したら大変だ。
 そこでペン先の形が似ている万年筆を購入した。価格は七百円だったと思う。近所の文房具屋で一番安いものを選んだ。銀色の、細く短い金属軸で、デザインはそっけない。どこのメーカーのものか忘れてしまった(プラチナ万年筆のイクシーズ[ixi:z]に似ている気もするが、確証はない)
 インクのカートリッジを「ぷちっ」と差し込むのが面白かった。

 Gペンや丸ペンよりずっと書きやすく、
「これで漫画のペン入れをしたい!」
 と思った。しかし当時の漫画入門書には「ペン先を傷めるから万年筆で絵を描いてはいけない」と書いてあった。

 時は流れ、高校生くらいの頃から、
「私の描きたい物語を表現するには、漫画より小説の方が合っているのではないか」
 と思い始めた。Gペンの練習はやめ、けれども万年筆は手紙を書く時などに使い続けた。特に大学時代、納得のいく小説がなかなか書けなくて、長い手紙をよく書いた。文章の練習になるのではないかと思ったのだ。

 おそらく社会人になってから、パイロットのカヴァリエという万年筆を買った。もらったのかもしれない。何しろいつどうやって手に入れたのか、全く記憶が無い。私好みの紺色の軸で、シャープペンシルとセットだった。
 シャープペンシルの方は長く使い続けたが、万年筆は割とすぐに書けなくなってしまった。私はがっかりし、また書けなくなるのも寂しいので、新しい万年筆は買わなかった。

 結婚して主婦になり、日々のやる事リストや買い物メモを書くのに使ったのは、赤と黒の二色ボールペンだった。
 ボールペンも進化して、書きやすいものが増えていた。芯と軸を選んで自分好みのペンを作れたりするのも面白い。水性ボールペンに似た書き味の芯が好きで、ピンクと黒の二色ボールペンを作ったりした。

 インクが切れたら替え芯を買い、軸が壊れたらペンを買い換える。ボールペンを使い続けるのが当たり前になっていたある日、ふと、手紙を書くのがおっくうになっているのに気付いた。
 若い頃は相手に迷惑なほど長い手紙を書いていたのに。(下手ながらも)小説を書けるようになって、文章を書きたいという欲が手紙まで回らなくなったのだろうか(ちなみに小説はパソコンやスマートフォンで書いている)

 2017年頃から、創作文芸界隈(私と同じように自作小説を冊子にして、即売会などで発表している人たちの、ゆるやかなコミュニティ)で万年筆が流行り始めた。ツイッターを見ていると、美しい軸や書写の写真が流れてくる。
 万年筆、懐かしいな。また買おうかな。でも高そう。子供の頃に使っていたような安い万年筆が今でもあるのか分からなかった。

 それにもう一つ、村上春樹の「万年筆」というエッセイが頭にあった。少し不思議な万年筆屋の話だ。店主は客の服を脱がせて背骨の形を調べ、様々な質問をし、客の体にぴたりと馴染む万年筆を作ってくれる(新潮文庫『象工場のハッピーエンド』所収)

 次に万年筆を買うことになったら、絶対にこの店で作ろう。私はそう決めていた。しかし改めて考えてみると「万年筆」はエッセイなのだろうか。万年筆屋は実在するものと信じていたが、ひょっとして、エッセイ風に書かれた小説だったのでは。何しろ村上春樹はイスラエルまで行って「嘘をつくのが仕事です」と演説した人である。『象工場のハッピーエンド』はエッセイと小説が混ぜこぜになっている本だから、虚実の判別が難しい。

 万年筆に惹かれつつ、買う決断は出来ない。そんな折、大好きな小説書きのオカワダアキナさんが、ツイッターでいいねした人に万年筆でメッセージを書いてくれる企画をしていた。私も手書き画像をいただき、すごく嬉しくて、同時に万年筆が欲しいという気持ちも強まった。

 どんな万年筆があるのかネットで調べてみると、パイロットの「カクノ」の情報がよく出てきた。デザインが可愛らしく、手頃な価格で書きやすいと評判だった。カクノで万年筆にハマり、次々に高額な万年筆やインクを買う、いわゆる「万年筆沼・インク沼」に落ちた人が数多くいるようで、パイロットは上手いことやったな、と感心した。

 私もカクノを買ってみようか。ネット公開されているカクノの説明書を読んだところ、
「インキがつまったり乾いてしまったらペン先を水に浸けて洗ってあげよう」
 とイラスト付きで書いてあった。

 もしかして、私の万年筆も壊れたわけではなく、中でインクが固まってしまっただけなのでは。



 さっそく引き出しの奥から万年筆を発掘し、ペン先をぬるま湯に浸けてみた。するとまあ出てくるわ出てくるわ、ペン先からもわもわとインクの帯が伸びる。水を替えて置いておくと、水の底が黒く染まっている。何度も水を交換し、ようやくペン先から色水が出なくなった。

 水気を拭い、乾かしてから、万年筆と一緒に発掘した黒インクのカートリッジを差し込んでみた。
「あっ! 書ける!」
 壊れていた訳ではないことが分かり嬉しかった。万年筆が復活したと写真付きでツイートしたところ、万年筆に詳しい方が、カヴァリエはもともとインクの流れがあまり良くないのだと教えてくれた。確かに書けるには書けるが、出てくるインク量にムラがある。

 やはり新しく万年筆を買うべきか。ツイッターで万年筆の情報を集め、キングダムノートという万年筆屋さんのページにたどり着いた。
 そこで私は運命の万年筆に巡り合った。万願寺とうがらしや聖護院かぶらなど、京都の野菜をイメージして作られた「京野菜シリーズ」だ。この中に「賀茂なす」という紫色の万年筆があった。私はツイッターのアイコンをなすの形の自画像にしており、実際に大好物だ。夏になると焼いたり煮たり、なす料理ばかり作ってしまう。

 買うならこれしかない、と思ったが「賀茂なす」はペン先が金で出来ていて、私の懐具合から考えると、失敗の許されない価格である。
 落ち着こう。もしかしたらもっと安くて自分好みの万年筆があるかもしれない。私は万年筆入門書を買い、色々なメーカーのペンを見てみた。

 興味深く思ったのは、ドイツの万年筆が多いことだった。モンブラン、ペリカン、ラミー。ファーバーカステル伯爵コレクション、なんて名前だけでも格好良い。ドイツの万年筆は派手ではないが、機能的で上品という印象だった。
 それに対してイタリアの万年筆は華やかで、筆記具というよりアクセサリーのようだ。ヴィスコンティやデルタなど、オレンジや空色の軸がキラキラ光り、ジローラモが胸に挿したらさぞ似合うだろう。

 日本の万年筆はそれほどおしゃれではないが、日本語を書くために作られているという。「賀茂なす」はセーラー万年筆の製品だから、安心して使えそうだ。(ちなみにセーラー万年筆は広島県呉市で創業し、軍港都市だから水兵→セーラー、という社名になった。漫画「この世界の片隅に」ファンの私にはたまらない話だ)

 世の中には美しい万年筆が数え切れないほどあると分かった。しかし「賀茂なす」以上に「私のための万年筆」と思えるものはない。「賀茂なすが欲しい!」という熱い欲望を、私はもう止められなかった。

「キングダムノート」は新宿西口でひっそりと営業している筆記具専門店だ。小さなビルの二階にあるので、住所と地図をしっかり確認して行かないと迷うかもしれない。私は運良くすぐに看板を見つけられた。
 店内にはお金持ちのおじさんが好みそうな高級万年筆がずらりと並んでいる。その中で、カラフルで可愛らしい京野菜シリーズは異彩を放っていた。

「あの、賀茂なすと京てまりが欲しいのですが……」
 そう、私は「京てまり」という万年筆も買おうと決めていた。いつも二色ボールペンを使っているから、万年筆も二色ないと困ると考えたのだ。「京てまり」も京野菜シリーズで、京都で開発された新品種のトマトを模している。軸もキャップも赤く、端っこが緑色だ。
「この緑は、トマトのヘタ……!」
 そう叫んだ後、費用の総額は計算しないことにした。

「試し書き出来ますか?」
「賀茂なすは太字しか残っていないんですよ。京てまりは字幅を選べるんですが」
 店員のお兄さんは京てまりの細字と太字にインクを付けて渡してくれた。壊さないかと緊張しながら、金色のペン先で「トマト」と書いてみる。
「どちらも書きやすいですね」
「ありがとうございます」

 太字というから所持品に名前を書くための油性ペンくらい太いのかと思ったら、そこまでではなかった。字幅0.5ミリほどだろうか。これなら小さな字も潰れずに書けそうだ。
 なす、ごはん、たまご、みそ汁…… 思いついた単語を書いてゆく。全て食べ物。相当な食いしん坊と思われたに違いない。
 太字の堂々とした字は迫力があって気持ち良かった。ペン先が紙の上をすべる感触も、太字の方がなめらかだ。もし太字で書いて窮屈に感じたら、紙の方を大きなものに変えよう。すでに万年筆中心の思考になっている。

「賀茂なすと京てまりの太字をください。同じ名前のインクも」
「インクは無料でお付けする分が終わってしまったんですよ」
「ものはあるんですか?」
「あります」
「なら買います! 京野菜シリーズ、どれもステキですよね〜! 私がカルロス・ゴーンなら全種類買っちゃうんですけど、そこまでお金がなくて……!」

 店員さんは私の暑苦しさに圧倒されていた気がする。もっと熱狂的な万年筆マニアがちょくちょく来店するだろうに、おかしいな。みんなもっと情熱を内に秘めておとなしいのかしら。



 ほくほく顔で帰宅し、Dちゃん(ダンナ)に向かって、
「万年筆買ったよ〜 これはペン先にね」
 と言いながら、キャップを開けようと引っ張った、ら。
「開かない」
「回して開けるんじゃないの?」
 キャップを回してみると、問題なくペン先が出てきた。

「いきなり壊すところだったね」
「危なかった……」
 万年筆のキャップはペン先を乾燥させないために、回転式(ねじ式)のものが多いらしい。そうとは知らずに買ってしまった。

「このペン先にね、なすとトマトが描いてあるんだよ!」





「へぇ、ほんとだ。金はティッシュで拭くと傷が付くんじゃないかな」
「うっ。布で拭くようにする〜」
 高価な万年筆を扱うのに、私は粗雑過ぎるのではないか。一抹の不安を覚えつつ、宝物が出来たようで嬉しかった。

 子供の頃に使っていた万年筆も、インクを詰まらせたカヴァリエも、カートリッジのインクを入れていた。賀茂なすと京てまりは瓶のインクを使うために「コンバーター」というものを装着することにした。インクを貯めておく細い筒で、つまみを回してインクを吸い上げる。
 初めての経験だから、上手くやれるか心配だった。汚しても構わない布を用意し、キングダムノートの店員さんの説明を思い出しながら、恐る恐るペン先をインクに浸した。左手でペンを固定し、右手でつまみをくるくる回す。回し切ったらペン先を引き上げ、つまみを逆回転させる。インクを三滴、瓶に戻す。ペン先を上にし、吸い上げる方向につまみを回す。こうするとペン先にたまったインクがすーっと潮のように退いてゆく。

 周りにしずくを落とすこともなく、すぐにインクは充填された。思ったより簡単だった。
 さっそく賀茂なすでなすを、京てまりでトマトを描いた。



 なすの皮とトマトの果汁にそっくりな色合いが愛おしい。

 私は賀茂なすでその日のメニューを書き、作り終えたら京てまりで丸を付けた。「なすとトマトのパスタ」というなす色の文字が、トマト色の太い線に囲まれる。面倒くさい家事の管理が、楽しい作業になった。
 年賀状に添える一言も、賀茂なすだと五十枚書いても疲れなかった。全く力を入れずにさらさら書ける。金のペン先は伊達ではないらしい。

 カヴァリエはその後もう一度洗浄し、新しく買った青カートリッジを挿したところ、綺麗な線が書けるようになった。万年筆入門書によると、インクの消費期限は二、三年であるらしく(早いな!)カヴァリエも新鮮なインクを使えば問題が起きないようだ。細字なので、手帳に書き込んだりするのに便利だ。死んだとばかり思っていたから、復活してくれてありがたい。

「賀茂なす」と「京てまり(トマト)」と、二十年の眠りから覚めたゾンビの「カヴァリエ(騎士)」
 私はこの三本と一緒に、前よりずっと「書く喜び」の増えた毎日を送っている。
 

2019年12月21日

この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ(その2)

二、紙の書き比べ



 ボールペンでは書きやすかった紙が、万年筆を使った途端に、にじんだり引っかかったりして「おや?」と思うことがある。万年筆のインクは水っぽく、ペン先の割れた部分が紙の繊維を削りやすいので、紙を選ぶのだ。

「結論:ボールペンすごい」

 それも一つの真理ではあるのだけれど、難しいからこそ凝りたくなる、というのがマニアの心理だろう。
 そんな訳でいくつか紙製品を用意し、万年筆で書き比べをしてみた。使用したのは、

【賀茂なす】
 セーラー万年筆 金ペン先 太字
 インク セーラー万年筆「賀茂なす」
【カヴァリエ(旧型)】
 パイロット 特殊合金ペン先 細字
 インク パイロット ブルー

 商品名に続くカッコ内は、紙の名前です。

☆MDノート(MD用紙)
 つるつるではなく少しだけざらっとした感触があり、それがちょうど良くペン先をつかまえてくれる。紙の裏にインクが抜けることもない。クリーム色なのも、目がチカチカしなくて良い。
 カヴァリエでも書きやすいが、さーっと素早く走り書きすると、引っかかりが大きい気がする。

☆ツバメノート(ツバメ中性紙フールス)
 さらさら書けて気持ち良い! MDノートとはちょっと違う気持ち良さ。こちらの方がつるつるしている。でもすべってはいかず、ちゃんとペン先をとらえてくれる。どちらが良いかは個人の好みだ。誤字をグシュグシュと塗りつぶす時の感触は、ツバメノートの方が引っかかりがなくて良い。薄い紙なのに、両面書いても裏の文字をあまり感じさせない。ツバメノート、初めて使ったけど地味ながら良い仕事してるな!
 カヴァリエで書くと、紙にペンを引っ張られる「重み」がある。賀茂なすではツバメノートの書き味の方が好みだが、カヴァリエはMDノートの方が書きやすい。面白いな。

☆LIFE バーミリオン 横罫(ライフLクリームライティングペーパー)
 MDノートに近いかな。つるつる過ぎない。クリーム色の紙面にピンクの罫線が可愛い。これも裏にインクがしみることはない。カヴァリエだとちょっとすべる。

☆ロルバーン(上質紙)
 化学薬品によって木材から不純物を取り除いた「化学パルプ」100%の紙を、上質紙というらしい。
「うちの社長が上質な紙だって言ってます。だから上質紙!」
 ではないんですね。きちんとした定義があるんだ。
 ロルバーンは表紙に付いているゴムバンドが便利で、日常の買い物メモに使っている。しっかり閉じられて、毎日繰り返しカバンから出し入れしても、紙がよれよれにならない。このゴムが邪魔だと言う人もいて、合う合わないは使ってみないと分からないものだ。
 紙は黄色。MDノートやツバメノートに比べると、ペン先の引っかかりは強い。困るほどではないが「気持ち良い!」とは言えない。
 不思議なことに、賀茂なすよりカヴァリエの方が書きやすい。紙とペンの相性は本当にそれぞれだ。

☆コクヨのキャンパスルーズリーフ(紙の名前は不明)
 十年以上前に買ったルーズリーフ。鉛筆向けに作られていて書きにくいだろう、と思ったら意外や意外、万年筆でも書きやすい。にじまないし裏抜けもない。つるつるし過ぎずさらさら書ける。他の会社のルーズリーフでひどくにじむものがあったので「コクヨ、やるな!」と思った。
 現在販売されているルーズリーフは、書き心地で選べるようになっている。「さらさら書ける」と「しっかり書ける」の二タイプ。いつか試してみたいですね。

☆エヌビー社 万年筆用A5便箋(バンクペーパー)
 バンクペーパーは銀行の帳簿用紙として開発された紙。インクが裏抜けしないので、便箋を束からはがさずに使えるのが便利。ちょっとすべりが悪く、ペンの動きが重く感じる。にじまないせいか、いつもより字が綺麗に見えた気がする。

 賀茂なすとカヴァリエの両方で書きやすいのはMDノートだった。ツバメノートはネットでも意見が割れていたので、少しペンを選ぶのかもしれない。紙の色と罫線の色が一番好みなのはLIFE バーミリオンだ。
 紙の感想は、ペンやインクとの相性、書き味や見た目の好みで変わる。ネットや雑誌で良いと言われているものが、自分にも必ず合うとは限らない。また同じ名前の製品でも、時々品質が変わったりするので油断ならない。

 用途に合った紙質を選ぶのも大事だ。走り書きするにはペンが引っかからずにするする動くもの。便箋は線の輪郭がカチッとした方が格好良い。
 大きさ、ページ数、罫線、綴じ方の好みもある。私は文庫サイズの薄い中綴じのノートが好きだ。旅行に持っていって小まめにメモを取り、これを元に旅行記を書いたりする。
 大きさや厚みが好みに合わないと使わない可能性が高いので、どんなに書きやすい紙であっても、買うのに躊躇する。

 何となくノートや便箋を買って、それからどう使うか考えるのも素敵ではある。しかし当然ながら、どんな使い方をするか決めてから選んだ方が、無駄がない。
 私が紙製品を買う時の判断基準は、
「立ったまま書けるか」
 落ち着いて、まずはそこに座れよと自分でも思う。
 

この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ(その3)

三、ペン字をやってみた



 万年筆にハマってから、手書き文字を時々ツイッターに上げるようになり、字の正解が分からなくなっているのに気付いた。あまりにも長いこと、メモ書きのようなものしか書いていなかったせいだ。ふだん目にする活字と、手書きの綺麗な字は、けっこう形が違う。
 試しにペン字の本を買って練習してみたら楽しかったので、ご紹介。

☆鈴木栖鳥「いもづる式だからすぐ上達! 感じのいい字になるペン字レッスン帳」エムディエヌコーポレーション
 自分の文字を美文字に改造するのではなく、字のバランスを取るコツを教えてくれるところが良い。どこに気をつければ字のデザインを整えられるか、赤字で簡潔に示されている。
 文字一つ一つの形だけでなく、文全体を綺麗に見せるための紙面の使い方も丁寧に説明されているので、レイアウトの勉強にもなる。縦書き・横書き両方あり。
 万年筆でも書きやすい紙質。平綴じで、机の上に真っ平らに置けないのが少々残念。

☆青山浩之「美文字クリニック練習帳 」NHK出版
 いもづる式より基礎的な練習が出来る。中綴じで平らに置けるのも良い。ただ紙が万年筆向きではなく、インクがにじんで字から毛が生えたようになるのが気持ち悪い。

 通信教育や教室はお金と時間がかかってしまうが、本屋に行くと500円〜1500円ほどでペン字の本が買える。万年筆にハマったら、遊びのつもりで一冊買ってみるのも良いと思う。

 いもづる式をやりながら、
「私が書きたいのは、丸文字ではなく楷書だったんだ」
 としみじみ思った。もともと私は書道を習っていて、子供の頃は字が下手な方ではなかった。ところが小六の時に、担任教諭から、
「新聞と同じ字で書け」
 という謎の指導を受けてしまい、字体が混乱した。新聞のフォントごと「天声人語」を書き写す宿題をやらされた。大人の文字になる大事な時期だったのに……

 書道教室の楽しさと、そこで得たものを見失っていく寂しさを、まさか四十二歳になって思い出すとは。
 書道教室には大先生(おじいちゃん)と先生(その娘)がいて、どちらも優しく穏やかだった。お手本の「日光見物」を、
「ひひかりみもの?」
 と読んで呆れられたのが懐かしい。
 先生はお元気だろうか。大先生はとっくに亡くなってるだろうな。

 ツイッターで「いもづる式」を最後のページまで練習したと報告したところ、鈴木栖鳥先生が直接励ましてくれた。書道教室の経験はペン字にも役に立つと言ってもらえて嬉しかった。
 鈴木先生は書き方の動画も配信しており、時々猫のしっぽの邪魔が入る。
 

この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ(その4)

四、文房具屋めぐり

 漫画を描いていた頃、文房具屋に行くたび、狂おしい気持ちで画材を眺めた。最も心惹かれたのは、パステル。子供にとっては高価なものだったので、バラで何色か買い求めた。カッターでカリカリ削って粉を散らし、綿棒で延ばして色を塗る。まさにパステルカラー。自分の拙い絵が、甘く淡い色彩にいろどられると、ただただ幸福だった。

 万年筆にハマったのは、この画材愛が「文章書きになった自分」に合わせた形で戻ってきたのかもしれない。そんな風に考えながら、東京都内の文房具関連のお店を巡り歩いてみた。

☆文房具カフェ(表参道)



 自由に使える筆記具と紙が置いてある。さまざまな種類のクレヨンがあり、私は透明クレヨンとミツロウクレヨンでお絵描きした。





 コピックもかなりの色数がそろっている。
 絵を描く友達と来たら盛り上がりそうだ。数名(二人〜六人ほど)でわいわい絵を描いている人が多かった。一人の人もいた(私も)
 描いた分の紙は、切り取って持ち帰ることが出来る。
 カレーやスパゲティーなど、しっかりした料理が出るのも嬉しい。野菜も豊富でした。

☆ブングボックス(表参道)
 オリジナルインクが全種類万年筆に入った状態で置いてあり、自由に試し書き出来る。ここのオリジナルインクは素敵なのだけど、値段が高くて、うーむうーむとうなりつつ「ノルウェーの森」を買ってしまった。村上春樹ファンがこの名前の前を素通り出来るはずがない。
 お菓子屋さんのような小さなお店で、店員さんとの距離も近い。何も買わずに出てくるのは至難の業だ。覚悟して行け!

☆ラミー(表参道)
 おしゃれな場所にクールな雰囲気で出店しているから、店員のお姉さんも取り澄ましているのかと思いきや、そんなことはなく、質問すると親切かつフレンドリーに答えてくれた。
 ラミーは人気のある「サファリ」のデザインが好みではなくて(使っている人多いでしょうね。ごめんなさい)自分では買わないだろう、と思いきや! 試し書きしてみたら、軸の人差し指と親指の当たるところが平らになっていて、正しい持ち方を維持しやすい! 書きやすい! バウハウス的な機能美を感じる。欲しくなってしまった。写真で見るより実物を触る方が、物欲を刺激されるねぇ……
 字幅が日本のメーカーより太くて驚いた。細字がもう太い。ドイツ人は漢字を書く必要がないからだ。
 何も買わずに出てきても、店員さんは気持ち良く送り出してくれた(※表参道のラミーのお店は2019年4月に閉店してしまいました)

☆THINK OF THINGS(原宿)



 コクヨが経営しているカフェ。腹ペコで入ったら、揚げたてのコロッケパンを食べられて、めちゃうまだった。



 キャベツぽろぽろ、コロッケ落ちないかヒヤヒヤで食べにくかったけれど、空腹+揚げたてコロッケに勝る食いもんなし。
 食事が出来るだけでなく、ノートや便箋など、コクヨ製品も販売している。
 ゆったりしたBGMが流れ、混んでもいない。のんびりおしゃべりするのに良さそうだ。一人で来て小説を書くのも良いかもしれない。

☆西武池袋本店
 紳士服の階に高級筆記具のコーナーがある。万年筆入門書を読む前、Dちゃんの買い物を待つ間によく冷やかしで眺めていた。
「万年筆って高いんだなぁ」
 しかしよく見ると、ボールペンの値段も高い。高価な筆記具ばかり集めているのだと気付いた。
 万年筆にハマった後に再び訪問。全てのメーカー名が分かるようになっている自分にウケた。イタリアの万年筆、ヴィスコンティの実物は本当に綺麗だった。ゴッホの絵をイメージした万年筆と、インクのセット。うっとりするような色だった。

☆銀座伊東屋本店
 本館(G.Itoya)は縦にデカい! 十二階まである。くまなく回る時間はなかったので、七階の「竹尾見本帖」を中心に。
 竹尾は紙の専門商社だ。千種類以上の紙を、見て、触って選ぶことが出来る。プリンタのメーカーごとに写真の出力見本があったり、「しっとり」「ツルツル」など質感別のファイルがあったり、どんな紙があるかを知るには最高の場所だ。しかし特殊な大きさで売っているため、A4やB5など、よくあるサイズで欲しい場合は、断裁料がかかる。一枚あたりの単価も高い。
 同人誌を作っている人たちと一緒に行って、紙の名前を叫びながら、きゃあきゃあしたら楽しそうだ(同人誌を作る人たちは、本文や表紙の紙を選ぶ必要があるので、自然と紙に詳しくなる)
 二階のレターフロアにも行った。品揃えが豊富で、万年筆向きのレターセットも多くある。他の店より価格が高いということもない。あれこれ見て悩んだ末に、バンクペーパーの便箋を購入した。

 日本橋高島屋にntさんという有名な販売員の方がいる。万年筆を売るのがものすごく上手くて、
「インクを見ようと思って行ったら、インクと万年筆を買っていた」
「支払い後の貧しい生活に備えてモヤシ料理のレシピを教えてくれる」
 など様々な伝説がある。ぜひお会いしてみたいが、予想外の出費をしてしまいそうで怖くて行けない。

 文房具屋めぐりは危険な遊びです。自制心を持っていくのを忘れずに。
 

この万年筆でいったい何を書くつもりなんだ(その5)

五、万年筆を選ぶポイント

 万年筆はその人の使い方によって、必要なものが違ってくる。ここはもっと気を付けた方が良かったと反省する部分もあるので、簡単にまとめてみる。

☆クリップ
 メモ帳に付けて使う場合は絶対必要だと思うが、クリップのない万年筆も割とある。買った後で、
「クリップないじゃん!」
 とならないようにご注意を。
 クリップはあっても華奢だとすぐ壊れるので意味がない。ボールペンの場合、まずここから壊れるので、クリップをよく見て頑丈そうなものを選ぶようにしていた。

☆キャップの開け方
 くるくる回して開ける「ネジ式」と、カチッと外せる「嵌合式」がある(私は使ったことがないのですが、最近はキャップレスも人気)
 ペン先のインクを乾燥させないため、気密性の高いネジ式のものが非常に多い。さっと取り出してさっと書きたい時に、ネジ式キャップはけっこう面倒くさい。
 手紙や小説書きなど、じっくり長時間書き続ける(頻繁にキャップを開け閉めしない)場合は、それほど気にならないと思う。万年筆を何に使うかよく考えて選ぼう。

☆字幅
 外国メーカーの字幅は「細字」と書かれていてもけっこう太い。ネットではなく、自分で試し書きして選ぶことをおすすめする。
 どこにどんな大きさの字を書きたいかで、必要な字幅は変わってくる。手帳は細字、便箋はやや太字が便利。

☆ペン先の形状
 基本的に、金を含むペン先は高価で、それ以外のペン先はお手頃だ(数万円するのに金ペン先でない万年筆もある。買う前に確認を)
 合う合わないはその人の書き癖による。高ければ書きやすいとも限らない。
 ただ価格が高いもの、字幅が太いものほど、弱い筆圧で済むという傾向はありそうだ。
 私はごく普通のタイプを買ってしまったが、長刀研ぎ(先端が細長く削られている)やフォルカン(柔らかく、字幅を変化させやすい)など、特殊な形のペン先を試してみるのも良いかもしれない。

☆軸の指が当たるところ
 パイロットの「カクノ」やラミーの「サファリ」は持ちやすい形になっているが、逆にこれが指に合わないという人もいると思う。キャップをかぶせるための段差が手に当たって痛い、という商品もあるそうなので、よく確認しよう。

☆軸の尻
 ここにキャップをかぶせられないペンもある。私は気にならないが、わざわざ削ってかぶせられるように改造する人もいるらしい。
 賀茂なすと京てまりは軸の尻にキャップを付けると重心がちょうど良い場所にくるよう作られている。カヴァリエはキャップを付けない状態が一番バランスが良い(尻に付けると重心が上にきて重い)
 ふだん何か書く時、キャップを尻に付けるか、そこらへんに転がしておくか。意識してから選ぶと、より使いやすいと思う。

☆メーカー
 万年筆は自社のインクで最も書きやすいように調整されている。別のメーカーのインクも使えるが、トラブル(インクが出ない、かすれるなど)もあると聞く。まず使いたいインクがある場合、そのメーカーの万年筆を選んだ方が安心だ。パイロットの「色彩雫」インクが使いたければ、パイロットの万年筆を買う、というように。
 セーラー万年筆は常時販売している純正インク以外に、ご当地インクなども手がけていて、幅広い選択肢があり気に入っている。

☆インク
 万年筆と同様にインクも魅力的なものが次々発売され、物欲が刺激されるが、製造から二、三年で品質が低下するそうなので、まとめて買い過ぎないよう気を付けよう。
 インクの色は写真に撮ったり印刷したりすると、ずいぶん印象が変わってしまう。ネット公開された色見本で気に入り、店に行って試し書きしたら全然違う色でガッカリしたことも。
 インクも万年筆も、ネットで済ませず実物に触れるよう、要求してくるところがありますね。

☆なんだかんだで見た目が大事
 ここまで書いた条件を全て満たす万年筆があったとする。それはあなたにとって一番の万年筆になるだろうか。
 一流企業に勤め、家事も育児もやってくれる、話のつまらない醜男と暮らせるか、という話です。派手な見た目の暴力夫に貢ぐ女を私は止めない(おまわりさ〜ん!)
 賀茂なすと京てまりはネジ式キャップで書き始めるまでに少し時間がかかるけれど、この二本がこれほど可愛くなかったら、万年筆に夢中になり、こうやって万年筆についての文章を書くこともなかったと思う。
 カヴァリエは古い特殊合金ペン先で、筆圧をかけないとインクの出が悪い。けれども長年放置した後に、壊れず生き返ってくれたことが嬉しくて、その書き味さえ愛おしい。「復活した騎士」といういわれが付いたのも、中二病的で悪くない。

 そう、万年筆は物語なのだ。



  あとがき

「弘法筆を選ばず」ということわざがあるのは、それだけ筆を選ぶ奴が多かった証拠だろう。みんな弘法大師ほど立派じゃないしわがままだ。ペンがちょっと使いにくいだけでイラッとするし、もっと良いものはないかと右往左往する。
 逆に言えば、それだけ道具によって気持ちを盛り上げることも可能なのだ。新しい世界を教えてくれる道具は確かに存在する。

 私が子供の頃は、万年筆で漫画を描いてはいけないと言われていた。最近は万年筆でイラストを描く人も多いようだ。
 この三十年で何があったのだろう。パソコンが普及し、画材を使って絵を描く人が減り、安くて性能の良い万年筆が買えるようになった。Gペンを使いこなすのは大変だったから、描きやすいペンで楽しく絵が描けるのを羨ましく思う。

 ここ数年、パソコンやスマートフォンでの作業を減らしたいと思っていた。画面が時間を吸い取っていくのが嫌だった。時間を忘れる作業は他にもあるが、電子機器をいじっている時の時間の消え方は独特だ。自分でコントロール出来ない気がする。
 文字を手書きすれば、指の疲れが時間の経過を教えてくれるのではないか。時間を消されるのではなく、時間を感じて時間と共に歩めるようになるのでは……
 そんな希望を抱いて、次の小説は万年筆で書いてみようと考えている。

 文章で絵を描こう。そう決めて私は絵を描くのをやめたのだ。
 表現方法が変わり、道具が変わっても。
 自分が描きたいものだけを、私は描き続ける。

【参考文献】
「万年筆のすべて」エイムック
「趣味の文具箱 vol.43」エイムック