よしながふみ「大奥」に出てくる有功があまりに可哀想だったので、思わずサイドストーリーみたいなものを書いてしまいました。
原作を読んでいないと訳が分からないと思います。
********************
紫の上
ある日、院主様の所に女が訪ねてきた。美しく勝気そうな顔に懐かしさを覚えてぼんやり眺めていると、女は真っ直ぐに院主様を見て、
「赤子が欲しいのです。どうか一夜、臥所を共にしてください」
と言った。
「吉原で男を買うことも出来ないのです」
その割に女は身綺麗で、地味だが仕立ての良い着物を着ていた。
「それは出来ません」
「何故ですか、村には男がほとんどおらず、みな困っています。民を救うのが院主様のお務めでしょう」
「私は見た通りの年寄りです。それにかつて妻がいたこともありましたが、子を成せず離縁されました。あなたのお役に立つこと叶いません」
院主様は若い頃、女将軍家光―千恵様の寵愛を一身に受けられた側室であった。しかし男の少ない普通の世界で暮らす人に、男ばかりの大奥の事情を話しても、理解してはもらえぬだろう。もとより大奥内の出来事を外に漏らすのは法度である。
離縁されたのではなく、世継ぎを儲けるため千恵様を他の男に委ねる苦しさに、自ら褥を断ったのが実際のところである。千恵様の甘い肌の香りと、深い嫉妬の苦みを思い出し、院主様は下を向いた。
「それでも構いません」
と言うやいなや、女は院主様を押し倒した。驚いて女の顔を見ると、その目は明らかに千恵様のものだった。ずっと前に亡くなったはずなのに。夢か現か分からぬまま、院主様は女を抱き締めた。
もう私の寝所に来てはならないと、あれほどきつく申したのに……
それから一年後、赤子を抱いた女がやって来て、
「院主様のおかげでこのように」
と微笑んだ。
「御祈願に来られた方ですか」
女は少し頬を赤く染めて、
「子種をいただいた者です」
「そんなはずはない!」
「いえ、他の方とは誰とも」
春日局の「そなたに種が無いから」という罵りが頭に響いて、気が遠のいた。そんなはずはない。千恵様は他の男の子どもを三人も産んだのだし、私とは幾つ夜を重ねても……
「失礼ですがその奥様と、片時も離れなかったのではありませんか」
「ええ、時が許す限り共におりました」
体のつながりが無くなった後も、千恵様は私をそばに置きたがった。互いに恋をした瞬間から死の間際まで、狂おしい思いが二人をきつく結びつけていた。
「あまり長く一緒にいると、かえって子が出来にくくなるそうですよ。ほら、光源氏と紫の上がそうでしょう」
急に赤子が泣き出して、女はバア、バアと不思議な声を上げながら機嫌を取った。私のいることなどまるで気にしていない様子だった。
どこから見ても千恵様とは似ていない。あの日の勘違いは何だったのか。
「仲睦まじいお二人が目の前に見えるようですよ」
赤子が泣きやむと、ぺこりと頭を下げて女は帰っていった。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
こんな風に涙を流したのは久しぶりだ、と思った。
(終わり)
2011年10月01日
うどん・運動 香川旅行 −高松・小豆島−(1日目)
旅行の前日、私は同人誌即売会「コミティア」に参加していた。
その片付け、食器洗い、荷造り……
いつも通りの「寝不足」である。
少しでも多く睡眠を取っておきたいのに、Dちゃんが寝床でいっぱい話しかけてきて、困った。
うどんの話で盛り上がる。
いや、盛り上がっている場合じゃない。
仕方がないので、興奮をおさえるために、
「うどんが一本、うどんが二本……」
と数えながら眠った。
2011年5月6日(金)
朝、残り物を食べ終わらせ、食器も全て洗い、予定通り8時出発。
前日イベントだったのに、よく頑張った、私……
今回の「旅の友の本」は、
村上春樹「辺境・近境」
田丸公美子「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」
旅気分を盛り上げるために、両方とも旅行記である。
「辺境・近境」には「讃岐・超ディープうどん紀行」が載っている。
この旅行を終えたあとでは、うどんというものに対する僕の考え方もがらっと変わってしまったような気がする。僕のうどん観にとっての「革命的転換があった」と言っても過言ではない。
村上春樹のように、私のうどん観もこの旅で変わるだろうか。
前回の鳥取旅行では羽田へ行くのにモノレールを使ったが、今回は品川から京急に乗った。
モノレールの乗客はほとんどが旅人なので、浜松町からもう旅が始まっている感じがする。
しかしこちらは通勤・通学の人が多く(今日は平日だし)ちょっとドキドキが足りない。
京急の雰囲気はのどかで好きなのだけど。
羽田に着いて電光掲示板を見ると、高松行きは出発が35分遅れるとのこと。
特にやることもないので荷物を預け、搭乗口の方へ移動する。
売店でカツサンドを買い、時間をつぶすために電動マッサージの椅子に座った。
私が、
「大変だー!!」
と叫びながらもみほぐされているのを、Dちゃんは楽しそうに見ている。
もみ玉にやられまいぞ、と体に力を入れてしまい、かえって疲れてしまった。
その後搭乗口に行くと、飛行機まで移動するためのバスが出る直前だった。
出発が遅れるからって油断した。
あぶない、あぶない。
飛行機までも遠かったが、乗った後も滑走路までの距離がけっこうあった。
飛行機なのに地べたを走ってばかりで自動車のようである。
安全についての映像を見ているうちに、ようやく加速が始まる。
窓からは(今回、窓側の席だったのだ!)海と、大型船がたくさん見える。
ふわっと離陸すると、その船がぐんぐん小さくなってゆく。
遠くから見ると、船は白い波の尾を引きながら、時が止まったように動かずにいるような気がする。
さっきまで巨大に見えていた石油タンクもミニチュアのようになって、全てが作り物のように見えて、何故か分からないけど私は物寂しい気分になり、涙ぐんだ。
航空写真みたいな(でもずっと立体的な)街は、雲の下に霞んでゆく。
光が強過ぎたらしく、頭が痛くなってきたので、窓を閉めた。
空港で買った「花畑牧場ホエー豚のヒレカツサンド」を食べ始める。

肉がやわらかくてうまーい!
こういうお弁当ってハズレの時もけっこうあるけど、当たりで嬉しい。
あと10分で着陸、と言われてから窓を開けると、いくつか島が見えた。
が、残念ながらどれが何という島なのか分からない。
こういう時に地理が得意なら……
四国の山が、田んぼが、街が見えてくる。
人生初の四国だー!!
飛行機からでも、車が動いているのが見える。
これはミニチュアじゃないんだ。
下で人間がいっぱい生活しているんだ。
着陸。高松の空。遠くに山がぼんやりと。
空港の通路に置いてあった「井上誠耕園」のチラシをもらう。
小豆島のカフェで、手延べパスタが食べられるそうだ。
美味しそう♪

↑鬼太郎がいない…… って当たり前だ。米子空港がいかにすごかったかが分かる。これが普通。
飛行機が遅れたからちょうど良い時刻のリムジンバスが無いかと思っていたら、着陸時刻に合わせてくれたみたいで、すぐ乗れた。
窓側の席を確保!
Dちゃんを窓側に座らせても、全然外を見ないんだもん。
私は子どものように大はしゃぎである。

曇ってる……
雨じゃないだけいいけど、私たちが出かけると、ホント天気悪くなるんだ。
街の様子は、普通。
ただ、瓦屋根が妙に気になる。
一般の家でも重厚なのだ。
ぴょん、とはじっこに飾りがある。
もう一つ気になったのは、空き店舗の多さ。
日本中こうなんだなー
旅行の前に「高松が舞台になっている小説」を調べてみたら「海辺のカフカ」が出てきてびっくりした。
何年も前に読んで、場所なんてすっかり忘れていた。
そうか、大島さんが働いている図書館は高松にあるんだ〜
バスの運転手さんは客の応対で焦ってくると、関西弁になる。
地理的に近いから、関西の人が多いのかな?
今日泊まる「全日空ホテルクレメント高松」に到着。
安いコースだからそんなに広くないけど、清潔で感じの良い部屋。
窓から海はちょっとしか見えない。

この部屋(9階)より高いビルがいっぱいだ。
うどんを食べに行こうと下調べした紙を見ると、2時や2時半で終わってしまう店が多い。
今は1時半。
慌ててタクシーに乗る。
タクシーの運ちゃんは京都出身で、うどんよりラーメンが好き、とのこと。
香川県民にバレたら思想矯正キャンプに送られてしまうのではないか。
このあたりのうどんは確かに美味しい、でも、
「チャーシューが載ってない!」
と言っていたのが面白かった。
最初に目指していた店が閉まっていたので、運ちゃんにおすすめを聞いて「さか枝」へ。

私はざる(中)と天ぷら2種類。

Dちゃんは釜あげ(中)と天ぷら1種類。
二人合わせて680円。
すごーい! 安ーい!!
村上春樹の脳内で革命を起した、本場の讃岐うどん。
麺にコシがあって味もあって、美味しい。
天ぷらは、穴子とさつまいも。
どちらも大きい。
特に穴子は20センチ以上あり、皿に載り切らない。
食べ途中で満腹になってしまった。
「お腹をさわってごらんよ」
「さわらなくても見て分かるよ」
というくらいポコッと。ギャーッ
今日の午後はうどん屋めぐりをする予定だったのに、一軒目でお腹いっぱいになってしまうとは。
さて、今日一日をどう過ごそう。
商店街をブラブラしていると、地図の中に面白い名前の店を発見。

「『八百屋百姓一揆』だって! 隣は『おやじビル』だよ。香川県民のネーミングセンスはとんでもないね」
「ん? 『おやじビル』じゃなく『みやじビル』じゃないか」
とんでもないのは私の方である。
実物は見ませんでしたが「八百屋百姓一揆」は実在するようです。
店を始めた人の気骨が伝わって来ますな。
「瓦町」という大きな駅に出たので、とりあえず琴平の方へ行ってみるか、と「ことでん(高松琴平電鉄)」に乗ることに。
改札には駅員さんがいて、切符を出すと、
「切られたー!!」

思わず叫んじゃったよ。
完全に自動化されてないのが嬉しい。

終点の琴電琴平駅までは1時間ほど。
大都会高松(東京みたいだった)とは違う、自然の風景をゆったり楽しむ。
が、天気が悪くて(腕が悪くて?)満足のゆく写真は撮れず。
その代わり電車を降りた後、ことでんのキャラクター「ことちゃん」をバシバシ撮りました。


イルカながらことでんの新米駅員で、恋人「ことみちゃん」との結婚資金のために頑張って貯金中、とのこと。
そう言えば香川県は、1世帯あたりの預貯金残高が全国一だったような。
昼飯があんなに安けりゃ金も貯まるよ。

↑うさぎの帽子をかぶっているので分かりにくいですが、一番左のが「ことみちゃん」ですね。
ソフトクリーム屋でもないかと、こんぴらさん(金刀比羅宮)の方へ向かう。

↑民謡「こんぴらふねふね」の歌詞が刻まれています。

参拝するつもりじゃなかったのに、
「もっとステキな店があるのでは」
という期待の力で、ぐんぐん上に上がってしまった。

ここ、石段がキツくて有名なんじゃなかったっけ……?
だんだん息が切れてくる。
暑い。


途中に資生堂パーラーがあったが(何故こんなところに?!)ちょうど閉店直後だった。
うえーん、何か美味しいものを食べさせて欲しかったよう。
我々はまだ、当初の目的だったソフトクリームを買ってないのである。
上に行けば行くほど店なんて無くなっちゃうんだもの。
ここは石段だけの苦行スポットなのか?
と思っていたら、

わ〜 展望台があるんだ!
結局一番上まで来ちゃったよ……
ここからの眺めはとても美しくて、来て良かったと思った。
落ち着いたところで「梅ぼし純」で塩分とクエン酸を補給。
私ってば、なんて用意が良いの。

↑御神木
もっと奥にも道が続いていたが、ここで下りることにする。
少し行くと、神馬だー!

エサを食べていて、なかなか顔を出してくれなかった。
奉納プロペラ……ってそんなもの奉納しちゃうんだ!
見上げるほど巨大です。
急にDちゃんが、
「あれ?」
キョロキョロしている。
「僕は脱いだトレーナーをどうしたのかな」
登り途中で暑くなって腕にかけていたのを無くしてしまったらしい。
あの時にはあった、あの時には無かった、と考えていくと、どうも展望台で落としたらしい。
「マジでー?!」
もう一度上がり始める。
私たち、石段マニアか。
「うーん、電車の時刻もあるし…… 諦めるよ」
ということで、上がるのはやめ、降りてきた。
神社の人、落としたままにしてすみません。
帰る頃にはどこの店も閉まっていてアイスは食べられず、トレーナーも無くし、なんだかなー の結果だったけど、緑や花が綺麗で、鳥の声も聞こえたりして、楽しかった。
ツバメが私の真上で二、三回くるくる回っていた。
6時過ぎの電車で高松の方へ戻る。
また切符を切ってもらう。

↑何度切られても嬉しい。
こんぴらさんは、赤ん坊連れのお母さんや、子どもや犬も石段を登っていて驚いた。
「もうちょっと頑張らないー?」
という呼びかけに、
「頑張らない……」
と答えてうずくまっている小さな女の子もいたな。
「辺境・近境」の「讃岐・超ディープうどん紀行」のページをパラパラしてみたら。
な、なんと!
取材の合間に金刀比羅宮の階段を走って登ったのもよい思い出である。
あそこ、走って登ったんだ、村上春樹……
あの人のことだから(100キロマラソンに挑戦するほどの本格的ランナーである)展望台の先の奥の道まで行ったのかもしれない。
ことでんは切符だけでなく、発車のベルも、
「ジリリリリ……」
と古風で良い。
電車を降りると、

やーん、ことちゃんがうどんを食べてる〜
可愛い〜
駅で同じ柄のメモを買っちゃった。
ぞぞー

天満屋(瓦町駅のデパート)と三越をはしごして、無くしたトレーナーの代わりになるものを探す。
三越のGAPでパーカーを購入。
こういう店に入っちゃうと、東京と何も変わらない。
そこからうどん屋「さぬき麺業」へ。

私は釜玉(ゆでたうどんを冷やさずに、生卵としょうゆでいただく)を注文。

うどんはやわらかく、関東のものに近い。
昼間のお店の、自己主張の強い麺の方が好みだな。
天ぷらが上品で美味しかった。
「しょうゆ豆」というのが何だか分からなかったので、注文してみた。

そら豆、なんだけど、ゆでてないからポクポクと硬めなのです。
皮をむかずに食べるのが面白い。
店を出て、明日利用するフェリー乗り場を確認し、ホテルへ。
10時を過ぎている。
シャワーを浴びて、おやすみなさい。
(2日目に続く)
(GR DIGITAL公式ブログにトラックバック)
その片付け、食器洗い、荷造り……
いつも通りの「寝不足」である。
少しでも多く睡眠を取っておきたいのに、Dちゃんが寝床でいっぱい話しかけてきて、困った。
うどんの話で盛り上がる。
いや、盛り上がっている場合じゃない。
仕方がないので、興奮をおさえるために、
「うどんが一本、うどんが二本……」
と数えながら眠った。
2011年5月6日(金)
朝、残り物を食べ終わらせ、食器も全て洗い、予定通り8時出発。
前日イベントだったのに、よく頑張った、私……
今回の「旅の友の本」は、
村上春樹「辺境・近境」
田丸公美子「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」
旅気分を盛り上げるために、両方とも旅行記である。
「辺境・近境」には「讃岐・超ディープうどん紀行」が載っている。
この旅行を終えたあとでは、うどんというものに対する僕の考え方もがらっと変わってしまったような気がする。僕のうどん観にとっての「革命的転換があった」と言っても過言ではない。
村上春樹のように、私のうどん観もこの旅で変わるだろうか。
前回の鳥取旅行では羽田へ行くのにモノレールを使ったが、今回は品川から京急に乗った。
モノレールの乗客はほとんどが旅人なので、浜松町からもう旅が始まっている感じがする。
しかしこちらは通勤・通学の人が多く(今日は平日だし)ちょっとドキドキが足りない。
京急の雰囲気はのどかで好きなのだけど。
羽田に着いて電光掲示板を見ると、高松行きは出発が35分遅れるとのこと。
特にやることもないので荷物を預け、搭乗口の方へ移動する。
売店でカツサンドを買い、時間をつぶすために電動マッサージの椅子に座った。
私が、
「大変だー!!」
と叫びながらもみほぐされているのを、Dちゃんは楽しそうに見ている。
もみ玉にやられまいぞ、と体に力を入れてしまい、かえって疲れてしまった。
その後搭乗口に行くと、飛行機まで移動するためのバスが出る直前だった。
出発が遅れるからって油断した。
あぶない、あぶない。
飛行機までも遠かったが、乗った後も滑走路までの距離がけっこうあった。
飛行機なのに地べたを走ってばかりで自動車のようである。
安全についての映像を見ているうちに、ようやく加速が始まる。
窓からは(今回、窓側の席だったのだ!)海と、大型船がたくさん見える。
ふわっと離陸すると、その船がぐんぐん小さくなってゆく。
遠くから見ると、船は白い波の尾を引きながら、時が止まったように動かずにいるような気がする。
さっきまで巨大に見えていた石油タンクもミニチュアのようになって、全てが作り物のように見えて、何故か分からないけど私は物寂しい気分になり、涙ぐんだ。
航空写真みたいな(でもずっと立体的な)街は、雲の下に霞んでゆく。
光が強過ぎたらしく、頭が痛くなってきたので、窓を閉めた。
空港で買った「花畑牧場ホエー豚のヒレカツサンド」を食べ始める。
肉がやわらかくてうまーい!
こういうお弁当ってハズレの時もけっこうあるけど、当たりで嬉しい。
あと10分で着陸、と言われてから窓を開けると、いくつか島が見えた。
が、残念ながらどれが何という島なのか分からない。
こういう時に地理が得意なら……
四国の山が、田んぼが、街が見えてくる。
人生初の四国だー!!
飛行機からでも、車が動いているのが見える。
これはミニチュアじゃないんだ。
下で人間がいっぱい生活しているんだ。
着陸。高松の空。遠くに山がぼんやりと。
空港の通路に置いてあった「井上誠耕園」のチラシをもらう。
小豆島のカフェで、手延べパスタが食べられるそうだ。
美味しそう♪
↑鬼太郎がいない…… って当たり前だ。米子空港がいかにすごかったかが分かる。これが普通。
飛行機が遅れたからちょうど良い時刻のリムジンバスが無いかと思っていたら、着陸時刻に合わせてくれたみたいで、すぐ乗れた。
窓側の席を確保!
Dちゃんを窓側に座らせても、全然外を見ないんだもん。
私は子どものように大はしゃぎである。
曇ってる……
雨じゃないだけいいけど、私たちが出かけると、ホント天気悪くなるんだ。
街の様子は、普通。
ただ、瓦屋根が妙に気になる。
一般の家でも重厚なのだ。
ぴょん、とはじっこに飾りがある。
もう一つ気になったのは、空き店舗の多さ。
日本中こうなんだなー
旅行の前に「高松が舞台になっている小説」を調べてみたら「海辺のカフカ」が出てきてびっくりした。
何年も前に読んで、場所なんてすっかり忘れていた。
そうか、大島さんが働いている図書館は高松にあるんだ〜
バスの運転手さんは客の応対で焦ってくると、関西弁になる。
地理的に近いから、関西の人が多いのかな?
今日泊まる「全日空ホテルクレメント高松」に到着。
安いコースだからそんなに広くないけど、清潔で感じの良い部屋。
窓から海はちょっとしか見えない。
この部屋(9階)より高いビルがいっぱいだ。
うどんを食べに行こうと下調べした紙を見ると、2時や2時半で終わってしまう店が多い。
今は1時半。
慌ててタクシーに乗る。
タクシーの運ちゃんは京都出身で、うどんよりラーメンが好き、とのこと。
香川県民にバレたら思想矯正キャンプに送られてしまうのではないか。
このあたりのうどんは確かに美味しい、でも、
「チャーシューが載ってない!」
と言っていたのが面白かった。
最初に目指していた店が閉まっていたので、運ちゃんにおすすめを聞いて「さか枝」へ。
私はざる(中)と天ぷら2種類。
Dちゃんは釜あげ(中)と天ぷら1種類。
二人合わせて680円。
すごーい! 安ーい!!
村上春樹の脳内で革命を起した、本場の讃岐うどん。
麺にコシがあって味もあって、美味しい。
天ぷらは、穴子とさつまいも。
どちらも大きい。
特に穴子は20センチ以上あり、皿に載り切らない。
食べ途中で満腹になってしまった。
「お腹をさわってごらんよ」
「さわらなくても見て分かるよ」
というくらいポコッと。ギャーッ
今日の午後はうどん屋めぐりをする予定だったのに、一軒目でお腹いっぱいになってしまうとは。
さて、今日一日をどう過ごそう。
商店街をブラブラしていると、地図の中に面白い名前の店を発見。
「『八百屋百姓一揆』だって! 隣は『おやじビル』だよ。香川県民のネーミングセンスはとんでもないね」
「ん? 『おやじビル』じゃなく『みやじビル』じゃないか」
とんでもないのは私の方である。
実物は見ませんでしたが「八百屋百姓一揆」は実在するようです。
店を始めた人の気骨が伝わって来ますな。
「瓦町」という大きな駅に出たので、とりあえず琴平の方へ行ってみるか、と「ことでん(高松琴平電鉄)」に乗ることに。
改札には駅員さんがいて、切符を出すと、
「切られたー!!」
思わず叫んじゃったよ。
完全に自動化されてないのが嬉しい。
終点の琴電琴平駅までは1時間ほど。
大都会高松(東京みたいだった)とは違う、自然の風景をゆったり楽しむ。
が、天気が悪くて(腕が悪くて?)満足のゆく写真は撮れず。
その代わり電車を降りた後、ことでんのキャラクター「ことちゃん」をバシバシ撮りました。
イルカながらことでんの新米駅員で、恋人「ことみちゃん」との結婚資金のために頑張って貯金中、とのこと。
そう言えば香川県は、1世帯あたりの預貯金残高が全国一だったような。
昼飯があんなに安けりゃ金も貯まるよ。
↑うさぎの帽子をかぶっているので分かりにくいですが、一番左のが「ことみちゃん」ですね。
ソフトクリーム屋でもないかと、こんぴらさん(金刀比羅宮)の方へ向かう。
↑民謡「こんぴらふねふね」の歌詞が刻まれています。
参拝するつもりじゃなかったのに、
「もっとステキな店があるのでは」
という期待の力で、ぐんぐん上に上がってしまった。
ここ、石段がキツくて有名なんじゃなかったっけ……?
だんだん息が切れてくる。
暑い。
途中に資生堂パーラーがあったが(何故こんなところに?!)ちょうど閉店直後だった。
うえーん、何か美味しいものを食べさせて欲しかったよう。
我々はまだ、当初の目的だったソフトクリームを買ってないのである。
上に行けば行くほど店なんて無くなっちゃうんだもの。
ここは石段だけの苦行スポットなのか?
と思っていたら、
わ〜 展望台があるんだ!
結局一番上まで来ちゃったよ……
ここからの眺めはとても美しくて、来て良かったと思った。
落ち着いたところで「梅ぼし純」で塩分とクエン酸を補給。
私ってば、なんて用意が良いの。
↑御神木
もっと奥にも道が続いていたが、ここで下りることにする。
少し行くと、神馬だー!
エサを食べていて、なかなか顔を出してくれなかった。
奉納プロペラ……ってそんなもの奉納しちゃうんだ!
見上げるほど巨大です。
急にDちゃんが、
「あれ?」
キョロキョロしている。
「僕は脱いだトレーナーをどうしたのかな」
登り途中で暑くなって腕にかけていたのを無くしてしまったらしい。
あの時にはあった、あの時には無かった、と考えていくと、どうも展望台で落としたらしい。
「マジでー?!」
もう一度上がり始める。
私たち、石段マニアか。
「うーん、電車の時刻もあるし…… 諦めるよ」
ということで、上がるのはやめ、降りてきた。
神社の人、落としたままにしてすみません。
帰る頃にはどこの店も閉まっていてアイスは食べられず、トレーナーも無くし、なんだかなー の結果だったけど、緑や花が綺麗で、鳥の声も聞こえたりして、楽しかった。
ツバメが私の真上で二、三回くるくる回っていた。
6時過ぎの電車で高松の方へ戻る。
また切符を切ってもらう。
↑何度切られても嬉しい。
こんぴらさんは、赤ん坊連れのお母さんや、子どもや犬も石段を登っていて驚いた。
「もうちょっと頑張らないー?」
という呼びかけに、
「頑張らない……」
と答えてうずくまっている小さな女の子もいたな。
「辺境・近境」の「讃岐・超ディープうどん紀行」のページをパラパラしてみたら。
な、なんと!
取材の合間に金刀比羅宮の階段を走って登ったのもよい思い出である。
あそこ、走って登ったんだ、村上春樹……
あの人のことだから(100キロマラソンに挑戦するほどの本格的ランナーである)展望台の先の奥の道まで行ったのかもしれない。
ことでんは切符だけでなく、発車のベルも、
「ジリリリリ……」
と古風で良い。
電車を降りると、
やーん、ことちゃんがうどんを食べてる〜
可愛い〜
駅で同じ柄のメモを買っちゃった。
ぞぞー
天満屋(瓦町駅のデパート)と三越をはしごして、無くしたトレーナーの代わりになるものを探す。
三越のGAPでパーカーを購入。
こういう店に入っちゃうと、東京と何も変わらない。
そこからうどん屋「さぬき麺業」へ。
私は釜玉(ゆでたうどんを冷やさずに、生卵としょうゆでいただく)を注文。
うどんはやわらかく、関東のものに近い。
昼間のお店の、自己主張の強い麺の方が好みだな。
天ぷらが上品で美味しかった。
「しょうゆ豆」というのが何だか分からなかったので、注文してみた。
そら豆、なんだけど、ゆでてないからポクポクと硬めなのです。
皮をむかずに食べるのが面白い。
店を出て、明日利用するフェリー乗り場を確認し、ホテルへ。
10時を過ぎている。
シャワーを浴びて、おやすみなさい。
(2日目に続く)
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posted by 柳屋文芸堂 at 13:31| 【旅行記】香川旅行記
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うどん・運動 香川旅行 −高松・小豆島−(2日目)
2011年5月7日(土)
PHSのアラームで、7時におはよう!

↑晴れた〜
身支度をして1階にあるレストラン「ヴァン」のビュッフェへ。
朝食なしコースだから料金が必要。
1人1850円。
東京だったら驚かない額だけど、うどん屋と比べちゃうと高ーい!!

ここにもうどんがあったので、食べてみた。
うーん、ちょっと硬いな。
おまけに醤油をかけ過ぎてしまって、さんざんな結果に。
高いのにイマイチなんて、東京のうどんじゃないんだから……
(※私の勘違いだったことが、次の日の朝食で判明します。
この文章だけ読んで「ヴァン」って美味しくないんだ、と思わないでね)
部屋のハンドソープが肌に合わず手荒れが悪化してしまったので、レストランの入り口でオリーブ石けんを購入。
これから向かう小豆島の商品である。
何だかワクワク。
部屋を片付け、いらない物は置いたままにして(今夜もここに戻ってくるから)9時頃、フェリー乗り場へ向かう。
ホテルからは徒歩5分ほど。
すぐ着く。

↑甲板から撮影。真ん中のビルがホテルクレメント高松。
船に乗ってみると割と空いていて、みんな寝転んだりしてくつろいでいる。
出発を知らせる音楽が演歌でびっくり。
内装も濃いめ。


一番上の甲板で何枚も写真を撮った。
見晴らしが良く気持ちいい。


船なんてなかなか乗れないので珍しく、上に行ったり下に行ったりキョロキョロ。
Dちゃんは私のようにはしゃがず騒がず、室内で待っている。
全体を3周くらいしてから座席に落ち着き、人生初の瀬戸内海をあらためて見つめる。
小さな島々。
小舟の釣り人。
海上を渡る鳥。
ああ、のーんびりした気持ち!
高松港から小豆島へは約1時間。
「東京ー高松」と「高松ー小豆島」にかかる時間がほとんど同じというのも面白い。
田丸公美子も「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」の中で、
さまざまな旅のアクセスの中で、最も旅情が刺激されるのは海から船で入る方法
と書いている(彼女が船で向かったのはシチリア島)
私は海無し県の埼玉育ちなので、余計に心がふわんと浮き立つ。
だんだん陸にも見える小さくない島に近付いて……
これが小豆島なのかしら。
ハッ!
到着を知らせるのも演歌かよ〜
という訳で、小豆島の草壁港に到着。
フェリー乗り場から少し奥へ入ると、バス停があった。
「あれー? これは別のところに行くバスだなー」
などと首を傾げていると、
「どこ行くん?」
と地元のおばちゃんが声をかけてくれた。
「『かかんけい』です」
「『かんかけい(寒霞渓)』ならあっち!」
向かい側のバス停だった。
「『かんかけい』ですね」
「そう『かんかけい』!」
親切にしてもらって嬉しかった。

風景も高松よりずっと田舎っぽくて(何度も書くが高松はほとんど東京である)
旅行に来たー♪ という感じがする。
墓のそばでもないのに石屋が多くて驚く。
(小豆島は古くからの石の産地で、豊臣秀吉も大坂城を築く時に使用したそう。
全然知らなかった)
バスで寒霞渓に向かう途中、問題になっている「新内海ダム」の工事現場を見つけ、心を痛める。
よくある「無駄な公共事業」で、特に必要とされていない巨大ダムを作る計画。
小豆島を愛する人たちが反対運動をしているのを、旅行前、寒霞渓について調べている時に知った。
原子力発電所もそうだけど、日本にはこういう悲しい話が多過ぎる。
「建てたがる人々」
を止めるにはどうすればいいのだろうか。
はぁ……
旅行中はあんまり暗いこと考えたくなかったんだけどな。
ダムに反対する理由は色々あって、観光客である私に一番関係があるのは、
「景観を壊す」
というもの。
確かに寒霞渓は、向かう道まで美しい。
咲き乱れる藤やつつじ。
あっ
「サルだー!! サルまみれ!!」
バスの横をサルが何匹も何匹も走ってゆく。
「子ザル可愛いー!!」
残念ながら写真は撮れなかった。
11時頃、ロープウェイ乗り場である紅雲亭に到着。


↑ここで飼われているようだ。

スロープ↑を通って乗り場へ。
ゴンドラが上がってゆくと、角度の変化で瀬戸内海の島が沢山見えてくる。

これは素晴らしい。
着いた先の、展望台からの眺めも良かった。

ここで総工費1億円のトイレに入る。

確かにおしゃれで綺麗。
お土産屋さんで買い物をして、遊歩道を下りてゆく。
「ねえ、私、サイダーを買っちゃったんだ」
「それは、大変なことになるだろうねぇ」
この暑さと振動。ヤバイな……
と「醤油サイダー」を飲むことに。

うん、まだ吹き出さない。
しかしこれ、醤油か?
ちっともしょっぱくないよ。

初心者向けの進みやすい道じゃーん、と思っていたら、重なる岩の天然階段が滑って怖かった。
鎖をぐっと握り、慎重に前へ。
「あっ、ごめん!」
「?」
「あー のりに謝ったんじゃないんだ。間違えてトカゲを蹴っちゃってね。
手足をバタバタさせながら落ちてゆくのが見えたよ……」
「ひどいー」
無事でいてくれ、トカゲさん。

木漏れ日に目を細める。
ゆらりゆらり揺れる葉の影。

まだ醤油サイダーでお腹カポカポだけど、心配なので「オリーブサイダー」を開ける。
そう、2本も買っていたのです。

ぶしゃっ
ぎゃーっ
思った通りの展開。ベタベタ。
でも味はオリーブサイダーの方が美味しかった。

岩の階段を過ぎると、その後は古いコンクリの道が続いていて、楽に歩けた。
途中、むにっと何かを踏んでしまった。
「ぎゃーっ 踏んだー」
Dちゃんに見せると、
「まだ付いているから岩でこすって取りなさい。このあたりは野生動物が出るみたいだからね」
バスで見たようなおサルさんかな。
道は意外と短くて、予定より1時間早くロープウェイ乗り場に戻ってしまった。
「どうしようか」
「もう一度展望台に行って昼ごはんを食べようか」
「うーん」
なんて言いながら近くの遊歩道をウロウロ。
後から考えると、ここで昼めしを済ませておけば……
2時頃、バスに乗って草壁港へ。
あちこちでダム反対の看板を見た。
港に着いたらレンタサイクル。
フェリーの切符売り場で頼むと、鍵を二つ渡してくれた。
オリーブ園の方に向かって、海沿いを走る。
青い風景を存分に楽しめる、気持ち良い道だ。

オリーブ園にはレストランがある。
お腹ペコペコ……ん?
何だか店内がガランとしている。
もしや。
「あのー 食事は出来ますか?」
「ランチは3時までなんですよ」
時計を見ると、3時15分。
あ〜れ〜
仕方がないのでオリーブのソフトクリームを食べる。

「『井上誠耕園』に行ってみようか」
空港に置いてあったチラシには、手延べパスタの美味しそうな写真が載っていた。
オリーブ園の人にここから井上誠耕園までどれくらいかかるか聞いてみると、
「車なら5分ですね」
との答え。
「それなら自転車で20分くらいじゃない? 行ってみよう!」
草壁港からオリーブ園までは爽やかな道だったが、ここからは山道になった。
海から離れてしまって風が抜けず、空気が淀んでいる。
おまけに車がびゅんびゅん走っていて、排気ガス臭い。
長い登り坂を過ぎると、さらに長い下り坂。
いくら下っても下っても、着かない。
当然、帰りはこれを登ることになるわけで……
Dちゃんは自転車を道のわきに止め、言った。
「フェリーの時刻に間に合わなくなるから、戻ろうよ」
「えーっ」
小豆島にもう一度来られるか分からないのに。
井上誠耕園に行けるチャンスは人生で今だけかもしれないのに。
「いやだーっ 行きたいー! 行きたいー!」
子どものようにグズる柳田のり子(34歳)
草壁港で借りた自転車を、井上誠耕園の近くにある池田港で返して、そこから高松に帰るという方法もあるのではないか。
公衆電話で草壁港に問い合わせると、あっさり×
空っぽの腹を抱え、来た道を戻ることにする。
あーあ。しょんぼり。

草壁港に戻って、うどん屋「三太郎」を覗いてみる。
「終わっちゃったみたいだね」
「どうしようー」
と嘆いていたら、
「食べるお店ですか?」
犬を散歩させているおばちゃんが声をかけてくれた。
「それならそこ入ったとこの、のれんの店がやってますよ!」
さんばし食堂という古めかしいお店だった。
お腹ペコペコのクタクタでなかったら、入るのを躊躇ったかもしれない。
今はたった一つの救いみたいに、輝いて見える。

私は小豆島名物のそうめん。
Dちゃんはそばを食べた。
美味しかった。
フェリーの切符売り場でオリーブオイルや醤油などを買い(まるでスーパーの買い物のようだが両方ともここの名産品である)時間ギリギリ、大慌てで高速艇に乗る。
これも演歌で出発だった。

小豆島ともお別れ。
寂しいなぁ。
結局見ること叶わなかった井上誠耕園。
たどり着けなかった場所を残してくるのも、思い出になるのかもしれない。
それにしても、小豆島のおばちゃんは本当に親切だった。
寒霞渓のロープウェイはバリアフリーになっていて、車椅子の人も展望台に来ていたし、
「観光客を優しく迎えてくれる島」
という印象。
残念なのは空気の悪さ。
田舎ののどかな風景が広がっているのに、臭いだけは都会と同じなんだもの。
あの行って戻った長い山道も、排気ガスさえ無ければ、
「ま、ステキなサイクリングだったし♪」
と思えただろうけど、あれじゃあ無理。
これから小豆島へ行く人に、レンタサイクルはおすすめしない。
車で来るのもさらに空気が悪くなるのでやめてー と思う。
バスなどの公共交通機関を使って欲しいな。
(小豆島オリーブバスのページはこちら)

↑高松港から瀬戸内海を撮影。お名残り惜しや。
ホテルに戻り、1階にあるラウンジ「フォンティーヌ」で小松菜のケーキを食べる。
ちゃんと香川県産の小松菜を使っているのが心憎い。

Dちゃんは、
「すごく小松菜の味がする。茹でた小松菜の!」
と言うのだが私はあまりよく分からなかった。
その後、うどんを食べるために高松の街に出たら、雨に濡れた。
昼間は晴れていたのに。
香川県は雨が少ないことで有名なのに。
やっぱり我々は最強の雨男と雨女だ。
今日選んだ店は「鶴丸」

カレーうどんが美味しいと評判。
どれどれ。

カレー味でごまかすのではなく、ちゃんと麺の味が楽しめる。
硬さは昨日行った「さか枝」と「さぬき麺業」の間くらい。
ここはその場で切った麺を茹でてくれる。
その様子を見ながら食べられるのだ。
味も良いし、何より夜遅くまでやっているのがありがたい。
高松のうどん屋の店仕舞いはたいてい早いのである。
お目当ての店がある人は、閉店時刻をしっかり調べておこう。
夜の高松もなかなか賑わっている。
すれ違う人のほとんどが関西弁。
ここは関西圏なんだろうか。
四国には四国独自の方言があるような気がしていたので(坂本龍馬みたいなの)軽くカルチャーショックである。
まあ何にせよ、標準語しか使えない私にとって、方言は旅情を誘う。


商店街にはこういう謎の像がいっぱいあった。
何だったんだろう。
ホテルに戻ってシャワーを浴び、12時半頃就寝。
夜中、もう帰っちゃうんだ、と思ったら寂しくてあまり眠れなかった。
もっとああすれば良かった、こうすれば良かった、と考えてしまったり。
行けなかったカフェの手延べパスタは美味しい……
(3日目に続く)
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PHSのアラームで、7時におはよう!
↑晴れた〜
身支度をして1階にあるレストラン「ヴァン」のビュッフェへ。
朝食なしコースだから料金が必要。
1人1850円。
東京だったら驚かない額だけど、うどん屋と比べちゃうと高ーい!!
ここにもうどんがあったので、食べてみた。
うーん、ちょっと硬いな。
おまけに醤油をかけ過ぎてしまって、さんざんな結果に。
高いのにイマイチなんて、東京のうどんじゃないんだから……
(※私の勘違いだったことが、次の日の朝食で判明します。
この文章だけ読んで「ヴァン」って美味しくないんだ、と思わないでね)
部屋のハンドソープが肌に合わず手荒れが悪化してしまったので、レストランの入り口でオリーブ石けんを購入。
これから向かう小豆島の商品である。
何だかワクワク。
部屋を片付け、いらない物は置いたままにして(今夜もここに戻ってくるから)9時頃、フェリー乗り場へ向かう。
ホテルからは徒歩5分ほど。
すぐ着く。
↑甲板から撮影。真ん中のビルがホテルクレメント高松。
船に乗ってみると割と空いていて、みんな寝転んだりしてくつろいでいる。
出発を知らせる音楽が演歌でびっくり。
内装も濃いめ。
一番上の甲板で何枚も写真を撮った。
見晴らしが良く気持ちいい。
船なんてなかなか乗れないので珍しく、上に行ったり下に行ったりキョロキョロ。
Dちゃんは私のようにはしゃがず騒がず、室内で待っている。
全体を3周くらいしてから座席に落ち着き、人生初の瀬戸内海をあらためて見つめる。
小さな島々。
小舟の釣り人。
海上を渡る鳥。
ああ、のーんびりした気持ち!
高松港から小豆島へは約1時間。
「東京ー高松」と「高松ー小豆島」にかかる時間がほとんど同じというのも面白い。
田丸公美子も「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」の中で、
さまざまな旅のアクセスの中で、最も旅情が刺激されるのは海から船で入る方法
と書いている(彼女が船で向かったのはシチリア島)
私は海無し県の埼玉育ちなので、余計に心がふわんと浮き立つ。
だんだん陸にも見える小さくない島に近付いて……
これが小豆島なのかしら。
ハッ!
到着を知らせるのも演歌かよ〜
という訳で、小豆島の草壁港に到着。
フェリー乗り場から少し奥へ入ると、バス停があった。
「あれー? これは別のところに行くバスだなー」
などと首を傾げていると、
「どこ行くん?」
と地元のおばちゃんが声をかけてくれた。
「『かかんけい』です」
「『かんかけい(寒霞渓)』ならあっち!」
向かい側のバス停だった。
「『かんかけい』ですね」
「そう『かんかけい』!」
親切にしてもらって嬉しかった。
風景も高松よりずっと田舎っぽくて(何度も書くが高松はほとんど東京である)
旅行に来たー♪ という感じがする。
墓のそばでもないのに石屋が多くて驚く。
(小豆島は古くからの石の産地で、豊臣秀吉も大坂城を築く時に使用したそう。
全然知らなかった)
バスで寒霞渓に向かう途中、問題になっている「新内海ダム」の工事現場を見つけ、心を痛める。
よくある「無駄な公共事業」で、特に必要とされていない巨大ダムを作る計画。
小豆島を愛する人たちが反対運動をしているのを、旅行前、寒霞渓について調べている時に知った。
原子力発電所もそうだけど、日本にはこういう悲しい話が多過ぎる。
「建てたがる人々」
を止めるにはどうすればいいのだろうか。
はぁ……
旅行中はあんまり暗いこと考えたくなかったんだけどな。
ダムに反対する理由は色々あって、観光客である私に一番関係があるのは、
「景観を壊す」
というもの。
確かに寒霞渓は、向かう道まで美しい。
咲き乱れる藤やつつじ。
あっ
「サルだー!! サルまみれ!!」
バスの横をサルが何匹も何匹も走ってゆく。
「子ザル可愛いー!!」
残念ながら写真は撮れなかった。
11時頃、ロープウェイ乗り場である紅雲亭に到着。
↑ここで飼われているようだ。
スロープ↑を通って乗り場へ。
ゴンドラが上がってゆくと、角度の変化で瀬戸内海の島が沢山見えてくる。
これは素晴らしい。
着いた先の、展望台からの眺めも良かった。
ここで総工費1億円のトイレに入る。
確かにおしゃれで綺麗。
お土産屋さんで買い物をして、遊歩道を下りてゆく。
「ねえ、私、サイダーを買っちゃったんだ」
「それは、大変なことになるだろうねぇ」
この暑さと振動。ヤバイな……
と「醤油サイダー」を飲むことに。
うん、まだ吹き出さない。
しかしこれ、醤油か?
ちっともしょっぱくないよ。
初心者向けの進みやすい道じゃーん、と思っていたら、重なる岩の天然階段が滑って怖かった。
鎖をぐっと握り、慎重に前へ。
「あっ、ごめん!」
「?」
「あー のりに謝ったんじゃないんだ。間違えてトカゲを蹴っちゃってね。
手足をバタバタさせながら落ちてゆくのが見えたよ……」
「ひどいー」
無事でいてくれ、トカゲさん。
木漏れ日に目を細める。
ゆらりゆらり揺れる葉の影。
まだ醤油サイダーでお腹カポカポだけど、心配なので「オリーブサイダー」を開ける。
そう、2本も買っていたのです。
ぶしゃっ
ぎゃーっ
思った通りの展開。ベタベタ。
でも味はオリーブサイダーの方が美味しかった。
岩の階段を過ぎると、その後は古いコンクリの道が続いていて、楽に歩けた。
途中、むにっと何かを踏んでしまった。
「ぎゃーっ 踏んだー」
Dちゃんに見せると、
「まだ付いているから岩でこすって取りなさい。このあたりは野生動物が出るみたいだからね」
バスで見たようなおサルさんかな。
道は意外と短くて、予定より1時間早くロープウェイ乗り場に戻ってしまった。
「どうしようか」
「もう一度展望台に行って昼ごはんを食べようか」
「うーん」
なんて言いながら近くの遊歩道をウロウロ。
後から考えると、ここで昼めしを済ませておけば……
2時頃、バスに乗って草壁港へ。
あちこちでダム反対の看板を見た。
港に着いたらレンタサイクル。
フェリーの切符売り場で頼むと、鍵を二つ渡してくれた。
オリーブ園の方に向かって、海沿いを走る。
青い風景を存分に楽しめる、気持ち良い道だ。
オリーブ園にはレストランがある。
お腹ペコペコ……ん?
何だか店内がガランとしている。
もしや。
「あのー 食事は出来ますか?」
「ランチは3時までなんですよ」
時計を見ると、3時15分。
あ〜れ〜
仕方がないのでオリーブのソフトクリームを食べる。
「『井上誠耕園』に行ってみようか」
空港に置いてあったチラシには、手延べパスタの美味しそうな写真が載っていた。
オリーブ園の人にここから井上誠耕園までどれくらいかかるか聞いてみると、
「車なら5分ですね」
との答え。
「それなら自転車で20分くらいじゃない? 行ってみよう!」
草壁港からオリーブ園までは爽やかな道だったが、ここからは山道になった。
海から離れてしまって風が抜けず、空気が淀んでいる。
おまけに車がびゅんびゅん走っていて、排気ガス臭い。
長い登り坂を過ぎると、さらに長い下り坂。
いくら下っても下っても、着かない。
当然、帰りはこれを登ることになるわけで……
Dちゃんは自転車を道のわきに止め、言った。
「フェリーの時刻に間に合わなくなるから、戻ろうよ」
「えーっ」
小豆島にもう一度来られるか分からないのに。
井上誠耕園に行けるチャンスは人生で今だけかもしれないのに。
「いやだーっ 行きたいー! 行きたいー!」
子どものようにグズる柳田のり子(34歳)
草壁港で借りた自転車を、井上誠耕園の近くにある池田港で返して、そこから高松に帰るという方法もあるのではないか。
公衆電話で草壁港に問い合わせると、あっさり×
空っぽの腹を抱え、来た道を戻ることにする。
あーあ。しょんぼり。
草壁港に戻って、うどん屋「三太郎」を覗いてみる。
「終わっちゃったみたいだね」
「どうしようー」
と嘆いていたら、
「食べるお店ですか?」
犬を散歩させているおばちゃんが声をかけてくれた。
「それならそこ入ったとこの、のれんの店がやってますよ!」
さんばし食堂という古めかしいお店だった。
お腹ペコペコのクタクタでなかったら、入るのを躊躇ったかもしれない。
今はたった一つの救いみたいに、輝いて見える。
私は小豆島名物のそうめん。
Dちゃんはそばを食べた。
美味しかった。
フェリーの切符売り場でオリーブオイルや醤油などを買い(まるでスーパーの買い物のようだが両方ともここの名産品である)時間ギリギリ、大慌てで高速艇に乗る。
これも演歌で出発だった。
小豆島ともお別れ。
寂しいなぁ。
結局見ること叶わなかった井上誠耕園。
たどり着けなかった場所を残してくるのも、思い出になるのかもしれない。
それにしても、小豆島のおばちゃんは本当に親切だった。
寒霞渓のロープウェイはバリアフリーになっていて、車椅子の人も展望台に来ていたし、
「観光客を優しく迎えてくれる島」
という印象。
残念なのは空気の悪さ。
田舎ののどかな風景が広がっているのに、臭いだけは都会と同じなんだもの。
あの行って戻った長い山道も、排気ガスさえ無ければ、
「ま、ステキなサイクリングだったし♪」
と思えただろうけど、あれじゃあ無理。
これから小豆島へ行く人に、レンタサイクルはおすすめしない。
車で来るのもさらに空気が悪くなるのでやめてー と思う。
バスなどの公共交通機関を使って欲しいな。
(小豆島オリーブバスのページはこちら)
↑高松港から瀬戸内海を撮影。お名残り惜しや。
ホテルに戻り、1階にあるラウンジ「フォンティーヌ」で小松菜のケーキを食べる。
ちゃんと香川県産の小松菜を使っているのが心憎い。
Dちゃんは、
「すごく小松菜の味がする。茹でた小松菜の!」
と言うのだが私はあまりよく分からなかった。
その後、うどんを食べるために高松の街に出たら、雨に濡れた。
昼間は晴れていたのに。
香川県は雨が少ないことで有名なのに。
やっぱり我々は最強の雨男と雨女だ。
今日選んだ店は「鶴丸」
カレーうどんが美味しいと評判。
どれどれ。
カレー味でごまかすのではなく、ちゃんと麺の味が楽しめる。
硬さは昨日行った「さか枝」と「さぬき麺業」の間くらい。
ここはその場で切った麺を茹でてくれる。
その様子を見ながら食べられるのだ。
味も良いし、何より夜遅くまでやっているのがありがたい。
高松のうどん屋の店仕舞いはたいてい早いのである。
お目当ての店がある人は、閉店時刻をしっかり調べておこう。
夜の高松もなかなか賑わっている。
すれ違う人のほとんどが関西弁。
ここは関西圏なんだろうか。
四国には四国独自の方言があるような気がしていたので(坂本龍馬みたいなの)軽くカルチャーショックである。
まあ何にせよ、標準語しか使えない私にとって、方言は旅情を誘う。
商店街にはこういう謎の像がいっぱいあった。
何だったんだろう。
ホテルに戻ってシャワーを浴び、12時半頃就寝。
夜中、もう帰っちゃうんだ、と思ったら寂しくてあまり眠れなかった。
もっとああすれば良かった、こうすれば良かった、と考えてしまったり。
行けなかったカフェの手延べパスタは美味しい……
(3日目に続く)
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posted by 柳屋文芸堂 at 13:28| 【旅行記】香川旅行記
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うどん・運動 香川旅行 −高松・小豆島−(3日目)
2011年5月8日(日)
7時少し前に自然と目が覚めた。
Dちゃんは昨日・一昨日の運動の疲れが出たのか、よく寝ていた。
朝食はまた「ヴァン」のバイキング。
うどんの前でどうしようか迷っていたら、ホテルの人が、
「お作りしましょうか?」
と声をかけてくれた。
お願いすると、横に置いてある大きな鍋でうどんを湯がき、おつゆをかけてくれた。
そこに青ネギとごまを。

食べてみると、うまーい!!
つゆもあっさりさっぱりでよろしい。
昨日イマイチと思ったのは、醤油のかけ過ぎもあるけど、湯がかなかったからなんだ。
やーん、もっと早くに教えて!
うどんを存分に食べ、部屋に戻って荷造りし、9時頃ロビーへ。
お土産売り場でまた醤油とオリーブオイルを購入。
ビンだらけ。重たい〜
どこに行っても、買い物帰りのおばちゃんになってしまう私。
9時半過ぎにリムジンバスに乗って、空港へ。
ここで最後の讃岐うどんを食べる。

↑釜玉!
ここの麺は、もちもち〜
香川のうどんは、全ての店で味とやわらかさが違うのに驚く。
麺に個性と主張があるのだ。

↑あれ? 1日目に行った「さぬき麺業」のチェーン店だったのか。味が違うから気付かなかった。
お土産屋さんでは、和三盆糖や丸亀うちわ、初音ミクのネギ入りえびせん「みくせん」なんてものもつい購入。
あれもこれもと見ていたら、また時間ギリギリになって、大慌てで飛行機に。

ああ、四国ともお別れ。
寂しいよう……

途中、天気が良くて、空から色んな地形が見えた。
これは伊豆かなぁ、千葉かなぁ、と考えながら、じっと見つめ続けた。
2時前には羽田着。
乗り換えの駅で成城石井に寄って、大荷物で帰宅。
するとPHSに母から電話。
「〇〇さん(←伯母(小))の具合が悪いのよ。明日来てくれる?」
荷物も解かないうちに、現実が始まる。
でも旅で補充したエネルギーで頑張れる。
四国の、瀬戸内海の島と海と空が見える。
(終わり)
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7時少し前に自然と目が覚めた。
Dちゃんは昨日・一昨日の運動の疲れが出たのか、よく寝ていた。
朝食はまた「ヴァン」のバイキング。
うどんの前でどうしようか迷っていたら、ホテルの人が、
「お作りしましょうか?」
と声をかけてくれた。
お願いすると、横に置いてある大きな鍋でうどんを湯がき、おつゆをかけてくれた。
そこに青ネギとごまを。
食べてみると、うまーい!!
つゆもあっさりさっぱりでよろしい。
昨日イマイチと思ったのは、醤油のかけ過ぎもあるけど、湯がかなかったからなんだ。
やーん、もっと早くに教えて!
うどんを存分に食べ、部屋に戻って荷造りし、9時頃ロビーへ。
お土産売り場でまた醤油とオリーブオイルを購入。
ビンだらけ。重たい〜
どこに行っても、買い物帰りのおばちゃんになってしまう私。
9時半過ぎにリムジンバスに乗って、空港へ。
ここで最後の讃岐うどんを食べる。
↑釜玉!
ここの麺は、もちもち〜
香川のうどんは、全ての店で味とやわらかさが違うのに驚く。
麺に個性と主張があるのだ。
↑あれ? 1日目に行った「さぬき麺業」のチェーン店だったのか。味が違うから気付かなかった。
お土産屋さんでは、和三盆糖や丸亀うちわ、初音ミクのネギ入りえびせん「みくせん」なんてものもつい購入。
あれもこれもと見ていたら、また時間ギリギリになって、大慌てで飛行機に。
ああ、四国ともお別れ。
寂しいよう……
途中、天気が良くて、空から色んな地形が見えた。
これは伊豆かなぁ、千葉かなぁ、と考えながら、じっと見つめ続けた。
2時前には羽田着。
乗り換えの駅で成城石井に寄って、大荷物で帰宅。
するとPHSに母から電話。
「〇〇さん(←伯母(小))の具合が悪いのよ。明日来てくれる?」
荷物も解かないうちに、現実が始まる。
でも旅で補充したエネルギーで頑張れる。
四国の、瀬戸内海の島と海と空が見える。
(終わり)
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2011年07月24日
伯母(小)のこと
「なるべく長く息をしているつもりだ」
と強い意欲を見せていた伯母(小)ですが、2011年7月2日のお昼頃、息を引き取りました。
82歳でした。
5月の入院で回復したものの、6月半ばから伯母(小)の体調は下降線をたどり、入院前の3日間は食事が全く取れなかった。
7月1日には水さえ飲めなくなったので、救急車を呼び病院へ。
運良くいつもの先生に診てもらえることになった。
病室に入ると、伯母(小)は何故か私の腕をぐいと強くつかむ。
何か言いたいことがあるのかと聞いてみるが、上手く話せない。
メモを渡してもあまり沢山の文字は書けない。
「帰るね」
と言うと、
「もう帰るのか」
と、かすれた声。
いつもなら、
「早く帰りな」
って言うのに。
いつまでもいて欲しそうな顔をする。
どうしたものかと困りつつ、用事もあったので帰ることにした。
次の日(7月2日)の朝6時前、病院からの電話で起こされる。
状態が急変したとのこと。
「どれくらいで来られますか?」
「1時間くらい……」
「えっ」
「千葉なんです」
「そうですか…… 姪御さんが来るまで血圧を上げる薬を使ったりして持たせますか?」
「いえ、自然でお願いします」
電車とタクシーを乗り継いで、7時前に到着。
まだ生きていた。
酸素マスクをしていて、息が荒い。
でも私をちゃんと見ている。
「あー、良かった。ずいぶん元気になった」
と看護婦さん。
「これ元気っすか?」
「さっきまでほんと酷かったのよ〜 すごい息で、顔も動かなくて」
伯母(小)は悲しそうな目で私を見ている。
手をお腹のあたりでクルクルさせるジェスチャー。
「お腹痛い」か「お腹苦しい」か「気持ち悪い」か。
とにかくそんなところだろう。
私にはどうすることも出来ない。
伯母(小)の目をじっと見つめて、肩をさする。
9時頃、いつもの先生が来てくれた。
別の部屋で説明を受ける。
血液の数値が非常に悪く、一時しのぎの対症療法しかもう出来ない、とのこと。
あとは延命治療だと言うので、きっぱりと断った。
「私の家は短命の人間がすごく多いんです。だから他の家ほど長生きにはこだわりません」
自分でも驚くほど落ち着いていて、迷い無しに言葉が出てくる。
「死には馴染みがあります。今はやれることは何でもやっておこう、みたいなのが多いんでしょうけど」
「そうですね、もうここは、山奥の診療所のような死生観でいいんじゃないかと」
面白いことを言う先生だ。
「私の家は一昔前みたいな考え方の家なんでちょうど良いです」
微笑みさえ出る。
「それよりとにかく、お腹の苦しいのを取ってあげられませんか?
死ぬことより苦しいことの方がイヤだと思うので」
「まあでも、死の恐怖というものもありますしね」
そうか。伯母(小)は怖がっているかもしれないんだ。
苦しみを取りのぞくことばかり考えていて、気付かなかった。
「でも伯母の頭はたぶん、苦しいよ、という気持ちでいっぱいだと思います。
そういうジェスチャーをするので」
「分かりました。息が浅くなってしまうのですが、意識をボーッとさせる薬を使いましょう」
説明に使ったメモを片付けながら、先生は続けた。
「親戚を呼んでください」
「もう、彼女を愛した人たちはみんな死んでしまったので……」
ここで少し、泣きそうになった。
「とりあえず、妹だけ呼びます」
母に電話すると……
「えーっ お母さん、飲んじゃった!」
「朝から?! 夜だけにしろって言ったのに」
「だって、昨日のお酒が目の前に残っているんだもの〜」
私は6時前に起こされて、飛んで来たっていうのに、もう〜
病室に戻り、また伯母(小)と見つめ合う。
点滴にボーッとする薬は入れてもらえたのだろうか。
伯母(小)は人差し指を空中に伸ばし、何か書いて伝えようとする。
まさにダイイング・メッセージ!
でも内容は分からない。
ボールペンを持たせても落としてしまう。
口もパクパクしている。
声は出ない。
「ごめんね、何て言ってるか分からなくてごめんね」
と耳元で言う。
耳も悪いから、聞こえているかどうか。
そのうち私のことを指差し、電話するジェスチャーをし始めた。
「お母さんに電話するの?」
かすかに首を振った気がした。
後で考えてみると、
「お前は電話で呼ばれて来たのか」
という意味だったのかもしれない。
あんまり激しくジェスチャーしていたものだから、点滴を挿しているところから血がもれ始めた。
看護婦さんを呼んで直してもらい、その点滴をしている手を握ることにした。
冷たい。
でもまだ動いている。
少しだけ握ってくれる。
11時頃、母到着。
「〇〇さーん!!(←伯母(小)の名)」
と呼んでおでこをぺしぺししている。
もうあまり反応がない。
目は開いているが、こちらを見てはいない。
息だけは続いている。
母も先生から軽く説明を受ける。
「この子(私のこと)に任せているので」
と特に異議なし。
それより先生をいじり倒す。
「まーっ こんなにお若い方とは!」
と言ってもおじさんである。
「柳田さんに比べればみんなお若いのでは……」
「姉はこの病院が大好きだったんですよ。みんなとっても良い人だって言って。
今回もここに入れて本当に良かった!」
ナースステーションの前のソファーで、母は差し入れを広げた。
「あんた、お腹空いてると思って。サンドイッチに、おにぎりに……」
「何これ?!」
なんと袋から豚足が。
「ちょっと、シチュエーションと小道具が合ってないよ!!」
つくづく変な親だ、と感心する。
「これからどうしようか。先生は今日明日だって言ってるけど」
「お前、一回帰ったら?」
「一度帰ってまた呼び出されるのもね…… お母さんこそ帰った方がいいんじゃない?」
家にはもう一人病弱な年寄り(伯母(大))が待っているのである。
「夕方くらいまではいようかと……」
長期戦かしら、と病室に戻ると、先生が来ていた。
「ボーッとする薬は入れたんですか?」
「いえ、入れませんでした。たぶんもう今は、患者さんにとっては苦しくない状態になっていると思います」
古風なやり方で終わりに向かっているわけだ。
母と一緒に病室を出て、また戻ろうとすると、看護婦さんたちが病室の前に集まっている。
「呼吸が下がっています」
モニターの数値がどんどん小さくなっている。
いよいよだ、と思ったら涙がポタポタ出た。
「そうだ、まだ耳が聞こえるかもしれない」
私は伯母(小)の少しは聞こえる方の耳(左側)に口を寄せて、叫んだ。
「ありがとうね!!」
本当は、
「自分の子どもではない私を育ててくれてありがとう」
と言いたかった。
しかし母がいるので悪くて言えない。
だから、
「ごはんをいっぱい作ってくれてありがとうねー!!」
振り向くと、先生も来てくれていた。
モニターは小さな波を映している。
「まだ、生きてます?」
「いえ、体の反応が残っているだけです」
先生は瞳孔を調べ、
「12時23分、ご他界されました」
さっきまで明るく立ち働いていた看護婦さんたちが、急にしんみりした雰囲気になる。
「これから点滴などを抜いて、体を清めることになります。
でもその前に、お別れの時間も十分に……」
「いえ、もうしっかりお別れしたのでけっこうです。
どんどん次の作業を進めてください」
冷たい女と思われたかしら。
でも基本的に私は、相手に何か出来るのは生きているうちだけ、と思っているのだ。
これからの流れを看護婦さんと相談し、母が持ってきた互助会のパンフ(酔っていたのに用意が良い!)を見て電話。
互助会の手際の良さはさくらももこのエッセイ(友蔵の葬式の話)などで知っていたが、本当に何もかもトントンとやってくれた。車を用意してくれて、伯母(小)を互助会が持っている霊安室へ運ぶことになった。
看護婦さんや先生はエレベーターの前に並んで見送ってくれる。
「最期までこちらで診ていただけて本当に良かったです。
ありがとうございましたー!!」
これで終わりかと思ったら、出口(裏口)にもまた並んでくれる。
「みなさん忙しいのに!!」
何しろこの病院は患者が多く、外来の待合室は満員電車みたいになっているのだ。
死んじゃった人のためではなく、生きている人たちのために時間を使ってください、と言いたかったが、ふと、医者や看護婦にはこういう「死を思う」時間も必要なのかもしれない、と感じた。
彼らは命を扱うプロなのだから。
生と死、両方あっての命なのだから。
死んじゃうのは怖かったかな?
苦しかったかな?
私がそばにいたことは、少しは助けになったかな?
一生懸命やったつもりだけど、あれこれ後悔することもある。
前の日もっと長く一緒にいてあげれば良かったな、とか。
もっと優しく出来た場面もあったんじゃないかな、とか。
立派な人ならば、完璧な対応が出来たのかもしれない。
でも、私の能力に限りがある以上、これより良い結果を望んでも仕方ない。
私なりに最善を尽くしたのだ。
私は伯母(小)が大好きだった。
妹が突然連れて来た、父親が誰かも分からない赤ん坊。
普通だったら虐めたっておかしくない。
しかし伯母(小)は、いつも美味しい料理を作ってくれて、私の体を育ててくれた。
欲しい物があれば買ってくれた。
もし母一人だけに育てられていたら、私の体は貧弱になり、お金が足りなくて大学にも入れなかったかもしれない。
そうなっていたら、Dちゃんにも出会えなかったのだ。
私は恩を返せただろうか。
愛は伝わっていただろうか。
「天国でロッキー(伯母(小)が可愛がっていた犬)と会えて、幸せに過ごせる」
というような考えを持てれば、私も救われるのだが。
残念ながら私は、現世の苦しみや痛みや悲しみや喜びや快楽のようなもの、「まさにそこにある感覚」以外、頼りに出来ない。
死後の世界を否定はしないけれど、必ずあると言い切れないものに人生の価値を預けられないのだ。
真夏のベランダをじじじじと這いずり回るセミのように苦しむ伯母(小)を、ただ見ていることしか出来なかった。
手をつなぎ、肩をさすることしか出来なかった。
死はその人のものだ。
他の誰も、かわって背負うことは出来ない。
ごめんね。
ごめんね。
ありがとう。
(伯母(小)のこと おわり)
と強い意欲を見せていた伯母(小)ですが、2011年7月2日のお昼頃、息を引き取りました。
82歳でした。
5月の入院で回復したものの、6月半ばから伯母(小)の体調は下降線をたどり、入院前の3日間は食事が全く取れなかった。
7月1日には水さえ飲めなくなったので、救急車を呼び病院へ。
運良くいつもの先生に診てもらえることになった。
病室に入ると、伯母(小)は何故か私の腕をぐいと強くつかむ。
何か言いたいことがあるのかと聞いてみるが、上手く話せない。
メモを渡してもあまり沢山の文字は書けない。
「帰るね」
と言うと、
「もう帰るのか」
と、かすれた声。
いつもなら、
「早く帰りな」
って言うのに。
いつまでもいて欲しそうな顔をする。
どうしたものかと困りつつ、用事もあったので帰ることにした。
次の日(7月2日)の朝6時前、病院からの電話で起こされる。
状態が急変したとのこと。
「どれくらいで来られますか?」
「1時間くらい……」
「えっ」
「千葉なんです」
「そうですか…… 姪御さんが来るまで血圧を上げる薬を使ったりして持たせますか?」
「いえ、自然でお願いします」
電車とタクシーを乗り継いで、7時前に到着。
まだ生きていた。
酸素マスクをしていて、息が荒い。
でも私をちゃんと見ている。
「あー、良かった。ずいぶん元気になった」
と看護婦さん。
「これ元気っすか?」
「さっきまでほんと酷かったのよ〜 すごい息で、顔も動かなくて」
伯母(小)は悲しそうな目で私を見ている。
手をお腹のあたりでクルクルさせるジェスチャー。
「お腹痛い」か「お腹苦しい」か「気持ち悪い」か。
とにかくそんなところだろう。
私にはどうすることも出来ない。
伯母(小)の目をじっと見つめて、肩をさする。
9時頃、いつもの先生が来てくれた。
別の部屋で説明を受ける。
血液の数値が非常に悪く、一時しのぎの対症療法しかもう出来ない、とのこと。
あとは延命治療だと言うので、きっぱりと断った。
「私の家は短命の人間がすごく多いんです。だから他の家ほど長生きにはこだわりません」
自分でも驚くほど落ち着いていて、迷い無しに言葉が出てくる。
「死には馴染みがあります。今はやれることは何でもやっておこう、みたいなのが多いんでしょうけど」
「そうですね、もうここは、山奥の診療所のような死生観でいいんじゃないかと」
面白いことを言う先生だ。
「私の家は一昔前みたいな考え方の家なんでちょうど良いです」
微笑みさえ出る。
「それよりとにかく、お腹の苦しいのを取ってあげられませんか?
死ぬことより苦しいことの方がイヤだと思うので」
「まあでも、死の恐怖というものもありますしね」
そうか。伯母(小)は怖がっているかもしれないんだ。
苦しみを取りのぞくことばかり考えていて、気付かなかった。
「でも伯母の頭はたぶん、苦しいよ、という気持ちでいっぱいだと思います。
そういうジェスチャーをするので」
「分かりました。息が浅くなってしまうのですが、意識をボーッとさせる薬を使いましょう」
説明に使ったメモを片付けながら、先生は続けた。
「親戚を呼んでください」
「もう、彼女を愛した人たちはみんな死んでしまったので……」
ここで少し、泣きそうになった。
「とりあえず、妹だけ呼びます」
母に電話すると……
「えーっ お母さん、飲んじゃった!」
「朝から?! 夜だけにしろって言ったのに」
「だって、昨日のお酒が目の前に残っているんだもの〜」
私は6時前に起こされて、飛んで来たっていうのに、もう〜
病室に戻り、また伯母(小)と見つめ合う。
点滴にボーッとする薬は入れてもらえたのだろうか。
伯母(小)は人差し指を空中に伸ばし、何か書いて伝えようとする。
まさにダイイング・メッセージ!
でも内容は分からない。
ボールペンを持たせても落としてしまう。
口もパクパクしている。
声は出ない。
「ごめんね、何て言ってるか分からなくてごめんね」
と耳元で言う。
耳も悪いから、聞こえているかどうか。
そのうち私のことを指差し、電話するジェスチャーをし始めた。
「お母さんに電話するの?」
かすかに首を振った気がした。
後で考えてみると、
「お前は電話で呼ばれて来たのか」
という意味だったのかもしれない。
あんまり激しくジェスチャーしていたものだから、点滴を挿しているところから血がもれ始めた。
看護婦さんを呼んで直してもらい、その点滴をしている手を握ることにした。
冷たい。
でもまだ動いている。
少しだけ握ってくれる。
11時頃、母到着。
「〇〇さーん!!(←伯母(小)の名)」
と呼んでおでこをぺしぺししている。
もうあまり反応がない。
目は開いているが、こちらを見てはいない。
息だけは続いている。
母も先生から軽く説明を受ける。
「この子(私のこと)に任せているので」
と特に異議なし。
それより先生をいじり倒す。
「まーっ こんなにお若い方とは!」
と言ってもおじさんである。
「柳田さんに比べればみんなお若いのでは……」
「姉はこの病院が大好きだったんですよ。みんなとっても良い人だって言って。
今回もここに入れて本当に良かった!」
ナースステーションの前のソファーで、母は差し入れを広げた。
「あんた、お腹空いてると思って。サンドイッチに、おにぎりに……」
「何これ?!」
なんと袋から豚足が。
「ちょっと、シチュエーションと小道具が合ってないよ!!」
つくづく変な親だ、と感心する。
「これからどうしようか。先生は今日明日だって言ってるけど」
「お前、一回帰ったら?」
「一度帰ってまた呼び出されるのもね…… お母さんこそ帰った方がいいんじゃない?」
家にはもう一人病弱な年寄り(伯母(大))が待っているのである。
「夕方くらいまではいようかと……」
長期戦かしら、と病室に戻ると、先生が来ていた。
「ボーッとする薬は入れたんですか?」
「いえ、入れませんでした。たぶんもう今は、患者さんにとっては苦しくない状態になっていると思います」
古風なやり方で終わりに向かっているわけだ。
母と一緒に病室を出て、また戻ろうとすると、看護婦さんたちが病室の前に集まっている。
「呼吸が下がっています」
モニターの数値がどんどん小さくなっている。
いよいよだ、と思ったら涙がポタポタ出た。
「そうだ、まだ耳が聞こえるかもしれない」
私は伯母(小)の少しは聞こえる方の耳(左側)に口を寄せて、叫んだ。
「ありがとうね!!」
本当は、
「自分の子どもではない私を育ててくれてありがとう」
と言いたかった。
しかし母がいるので悪くて言えない。
だから、
「ごはんをいっぱい作ってくれてありがとうねー!!」
振り向くと、先生も来てくれていた。
モニターは小さな波を映している。
「まだ、生きてます?」
「いえ、体の反応が残っているだけです」
先生は瞳孔を調べ、
「12時23分、ご他界されました」
さっきまで明るく立ち働いていた看護婦さんたちが、急にしんみりした雰囲気になる。
「これから点滴などを抜いて、体を清めることになります。
でもその前に、お別れの時間も十分に……」
「いえ、もうしっかりお別れしたのでけっこうです。
どんどん次の作業を進めてください」
冷たい女と思われたかしら。
でも基本的に私は、相手に何か出来るのは生きているうちだけ、と思っているのだ。
これからの流れを看護婦さんと相談し、母が持ってきた互助会のパンフ(酔っていたのに用意が良い!)を見て電話。
互助会の手際の良さはさくらももこのエッセイ(友蔵の葬式の話)などで知っていたが、本当に何もかもトントンとやってくれた。車を用意してくれて、伯母(小)を互助会が持っている霊安室へ運ぶことになった。
看護婦さんや先生はエレベーターの前に並んで見送ってくれる。
「最期までこちらで診ていただけて本当に良かったです。
ありがとうございましたー!!」
これで終わりかと思ったら、出口(裏口)にもまた並んでくれる。
「みなさん忙しいのに!!」
何しろこの病院は患者が多く、外来の待合室は満員電車みたいになっているのだ。
死んじゃった人のためではなく、生きている人たちのために時間を使ってください、と言いたかったが、ふと、医者や看護婦にはこういう「死を思う」時間も必要なのかもしれない、と感じた。
彼らは命を扱うプロなのだから。
生と死、両方あっての命なのだから。
死んじゃうのは怖かったかな?
苦しかったかな?
私がそばにいたことは、少しは助けになったかな?
一生懸命やったつもりだけど、あれこれ後悔することもある。
前の日もっと長く一緒にいてあげれば良かったな、とか。
もっと優しく出来た場面もあったんじゃないかな、とか。
立派な人ならば、完璧な対応が出来たのかもしれない。
でも、私の能力に限りがある以上、これより良い結果を望んでも仕方ない。
私なりに最善を尽くしたのだ。
私は伯母(小)が大好きだった。
妹が突然連れて来た、父親が誰かも分からない赤ん坊。
普通だったら虐めたっておかしくない。
しかし伯母(小)は、いつも美味しい料理を作ってくれて、私の体を育ててくれた。
欲しい物があれば買ってくれた。
もし母一人だけに育てられていたら、私の体は貧弱になり、お金が足りなくて大学にも入れなかったかもしれない。
そうなっていたら、Dちゃんにも出会えなかったのだ。
私は恩を返せただろうか。
愛は伝わっていただろうか。
「天国でロッキー(伯母(小)が可愛がっていた犬)と会えて、幸せに過ごせる」
というような考えを持てれば、私も救われるのだが。
残念ながら私は、現世の苦しみや痛みや悲しみや喜びや快楽のようなもの、「まさにそこにある感覚」以外、頼りに出来ない。
死後の世界を否定はしないけれど、必ずあると言い切れないものに人生の価値を預けられないのだ。
真夏のベランダをじじじじと這いずり回るセミのように苦しむ伯母(小)を、ただ見ていることしか出来なかった。
手をつなぎ、肩をさすることしか出来なかった。
死はその人のものだ。
他の誰も、かわって背負うことは出来ない。
ごめんね。
ごめんね。
ありがとう。
(伯母(小)のこと おわり)
posted by 柳屋文芸堂 at 09:31| 【エッセイ】伯母(小)のこと
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