2017年02月21日

七瀬君とモテと非モテの研究

 文化祭は秋に開催されることが多いのだろうか。
 うちの高校は五月だった。ゴールデンウィークの次の土曜日、私は吹奏楽部の演奏を聴くため、体育館に並べられたパイプ椅子に座っていた。
「プログラムの時刻より20分遅れています」
 放送部員のアナウンスは早口で、焦っているのが伝わってくる。なんだ、すぐ始まる訳じゃないんだ。私は閉まったままの舞台に向かってあくびをした。

 何の説明もなく突然幕が開いた。そこにいたのは友人のサチが入っている吹奏楽団、ではなく、和服姿の女の人だった。紫色のふさを垂らした棒を肩に載せ、踊り始める。ゆったりとした動き。真っ白く塗った顔に、深紅の唇。

 何これ? 夜中に起き出した日本人形を見てしまったような。さっきまでの現実とつながっているとはとても思えず、背中がゾクゾクする。夢じゃないよね? 寝てないよね、私。
 体育館はお正月っぽい和風の音楽で満たされ、女の人はなめらかに背中を反らせる。息を呑むほど綺麗、なのに、この違和感は何だろう。

 答えに気付いた瞬間、私は椅子をガタッと鳴らしてしまった。
 大き過ぎるんだ。舞台からの距離のせい? 違う。いつもここで長話をする校長より、この女の人は頭二つ分くらい背が高い。たぶん180センチ以上…… まさか。私は文化祭のプログラムを広げて確認した。

 日本舞踊「藤娘」
 三年二組 七瀬耕一

 同じクラスじゃん! 七瀬? そういう名前の男子がいるのは知っている。でもどんな奴だったか全然思い出せない。七瀬君は舞台の床に横たわって体をくねらせ、首をほのかに傾ける。誘ってるんだ。誰を?
 こんなに色っぽい女の人、初めて見た。いや、女じゃないんだけど。

 七瀬君は紫色のふさを抱きかかえ、絵のようにポーズを決めた。まるで人形に戻ったみたいに。幕が閉まり始める。誰かが拍手をしたので、私も他の客もつられて手を叩いた。
 サチたちが演奏するレッドロブスターのCMの曲が体育館に響いても、私の頭の中ではさっきの日本人形、七瀬君が踊り続けていた。

「ユカ! 聴きに来てくれてありがとう」
 サチはクラリネットを持ったまま小さく手を振った。
「サチたちの前に出た男の人、見た?」
「体育館の横で待機してたから見てないよ」
「そっか……」
 キョロキョロしても和服姿の女の人はどこにもいない。
「面白かったの?」
 面白かった、のかな? 私が何も言えずにいると、サチは眼鏡の奥の目を細めて微笑んだ。
「後で詳しく聞かせて!」

 次の週、私は教卓に置いてある座席表で七瀬君の席を確認した。意識してみると、背が高いから他の男子と簡単に見分けがつく。休み時間に七瀬君が廊下に出たので、慌てて追いかけて学ランの袖をつかんだ。

「七瀬君!」
 振り向いて私を見下ろす二つの目を、じっと見つめる。
「この間の踊り、見たよ。すごいね! 子供の頃から習ってるの?」
 七瀬君は視線をまっすぐこちらに向けたまま何も言わない。
 返事を待ちながら、私は七瀬君の顔を観察した。

 ニキビもほくろもないツルツルの肌。前髪の下にのぞく大きな瞳。
 まつげが長くて、まるで女優みたい。ヤクザの奥さん役なんかが似合う、派手なタイプの。
「ありがとうございました」
 七瀬君は低い声でつぶやき、足早に男子トイレに消えてしまった。
 我慢してたのかも。悪いことしちゃった。

 体育の時にクラスの女子全員に聞いたところ、誰も七瀬君の日本舞踊は見てないという。
「誰それ?」
 という反応がほとんどで、前も同じクラスだったという岡さんだけが七瀬君の情報を持っていた。
「かなり成績が良かったはずだよ」
「そうなの?」
 放課後に実力テストの順位の紙を見てみると、確かに七瀬君は全部の教科で上位に入っている。特に国語は学年一位だ。こんなに優秀なら、もっと目立っても良いのに。七瀬君が注目されていないのが不思議だった。

 七瀬君と席が近い寺嶋君にも聞いてみた。
「七瀬君ってどんな人?」
 寺嶋君は壁に寄りかかって腕を組む。
「知らない」
「席、前じゃん。話したりするでしょ」
「あいつ、ずーっと本読んでるから。休み時間も昼メシの時も。『話しかけるな』って全身で言ってる感じ」
 マズい。
 よりにもよってトイレに行きかけのところを話しかけちゃったよ。七瀬君の性格なんて知らなかったし。

 寺嶋君は続ける。
「七瀬はさ、高校を大学受験のための予備校みたいに思ってるんじゃないかな。誰とも知り合いにならなければ、ムダ話することもないし」
「ごめんね、ムダ話させて」
 寺嶋君は顔をクシャっとさせて笑う。
「俺は受験のことだけ考えて生活するなんて絶対ムリ! ところで七瀬、何かやらかしたの?」
「文化祭で踊りを踊ったんだよ」
「えっ」
 寺嶋君は手と腰をゆらゆら揺らした。
「七瀬がフラメンコ?」
「それ、フラダンス! 色々違うから!」

 テスト期間に入り、練習熱心な吹奏楽部も休みになった。久々にサチと帰れる。
「おかしいと思わない?」
 私は七瀬君について分かったことを全部話した。
「背が高くて顔も美形で、成績も良いんだよ? 漫画だったら学園のヒーローになるはずじゃない?」
「ドラえもんに出てくる出木杉君みたいに」
「いやほんと、出木杉レベルじゃないんだって! それなのに、誰もどんな人か知らないなんてさ」

 サチは手を頬に当ててしばらく考えていた。
「七瀬君が格好良いってみんなが知る機会はあった?」
「文化祭の踊り」
「ユカ以外、誰も見なかったんでしょ」
「綺麗だったぁ〜 夢の世界に連れていかれたよ」

 女になった七瀬君を思い出してうっとりしていたら、サチが私の顔をのぞき込んだ。
「七瀬君のこと、好きなの?」
「えーっ サチはすぐ恋愛に結びつけるんだから……」

 実を言うと、私は恋をしたことがない。それがどんな感情か分からないのだ。
 高三にもなって初恋がまだだとバレたら恥ずかしい。いつも知ってるフリして誤魔化している。
「好きというより『興味深い』だよ」
「確かに女装したり、孤独になろうとしたり、謎めいてるね」

 夏が過ぎ、私たちは本格的に受験生になった。七瀬君は相変わらず誰とも話さず、読書したり、参考書に赤いシートを重ねて何かを暗記したりしていた。
 ある時サチに付き合って図書室へ行ったら、奥の棚のところで七瀬君が本を選んでいた。

「ねえあれ、ユカの好きな人じゃない?」
 サチは七瀬君を指差し大声で言った。
「バカ! サチッ」
 七瀬君はこちらをギロリとにらみ、ほとんど駆け出すように図書室を出て行ってしまった。

「あの人、真っ赤になってたよ。あ、ユカの顔も真っ赤」
「サチのせいでしょ〜」
 図書委員の鋭い視線に首をすくめる。サチはそんなの気にせず「良いことした!」とでも言いたげに、ニコニコしていた。

 どうにか受験を乗り越え、卒業式。七瀬君を本気で好きになっていたら第二ボタンをもらったり出来たのだろう。私の気持ちはあやふやなままだった。さよならも言えずに二度と会えなくなってしまうのは寂しい。でもどうしようもない。

 帰宅後、卒業証書を入れていた手提げ袋を開けたら、結城ゆか様、と書かれた封筒が入っていた。差出人の欄には「七瀬耕一」
 何これ、ラブレター? 顔がかぁっと熱くなる。ど、どうしよう。震える指で便箋を取り出す。


 突然すみません。僕は子供の頃から大人とばかり一緒にいたので、同級生と話すのが苦手でした。友達が一人も出来なくても、構わないと思っていました。けれども文化祭の後、結城さんに話しかけられた時、まともに言葉も返せない自分を目の当たりにし、愕然としました。苦手なことから逃げ続けた報いです。失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。


 七瀬君、真面目過ぎる……
 あの日の受け答えをずっと気にしていたんだ。別に失礼なんて思ってないよと返事を書こうかと思ったけど、またそれを難しく考えてしまったら可哀想だと思い、何もしなかった。

 私は女子大に進学し、近くにある大学のサークルに入った。
 夏休みの後その大学に行ったら、男の子同士のカップルを見かけた。優しそうな丸眼鏡の子の頬に、美少年がつま先立ってキスをする。
 びっくりしたけど、可愛くてお似合いで、応援したくなる二人だった。

 サークル活動のたびに二人を見つけてはほのぼのしていた。
 時々彼らと一緒にいる男がいて、この人の方がゲイカップルよりよほどエキセントリックだった。
 ピンクと黄緑のチェックのシャツとか、アロハっぽい柄の長いジャケットとか、どこで買ったの? と聞きたくなるような服ばかり着ている。背が高いからすごく目立つ。

 楽しそうに笑い声を上げ、三人とも表情が輝いている。
 仲が良いんだな…… 派手男の顔を見て、私はアッと叫んだ。
 七瀬君じゃん! そういえばこの大学にも合格していた。どうして今まで気付かなかったのだろう。だって服が違う。それ以上に、性格が。七瀬君が顔を上げておしゃべりしている姿なんて、今日初めて見た。

 七瀬君の謎が一気に解ける。七瀬君はゲイだったんだ!
 普通の男子とは話が合わず、女子である私とは話す必要がない。
 女装したり、けばけばしい服を着たりするのが好きなのに、高校では我慢していた。

 良かったね、七瀬君。ようやく仲間が出来て、自分らしく生きられるようになったんだ。嬉しさと、ちょっと悲しい気持ちで、涙が出る。胸が痛い。馬鹿だな。絶対に愛し合えない人だと知った途端、恋していたことに気付くなんて。
 次の恋を探そう。私も幸せになるからね、七瀬君!


 そんな訳で、数多の誤解を受けたまま、七瀬の初恋は終わった。
 恋文は恋文と分かるように書こうな、七瀬。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 17:06| 【掌編小説】七瀬君とモテと非モテの研究 | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

死神(その1)

落語「死神」の翻案小説です。

********************

「もう死ぬしかないのか……」
 藤木は珍しく弱り切っていた。無理もない。失業し、ヤケで始めたギャンブルは負け続き。借金を借金で返すうち、その額は膨れ上がった。とても一人の若者が稼げる金ではない。
「首をくくるか、線路に飛び込むか……」
「東武東上線に飛び込むのはやめて欲しい」
 藤木が顔を上げると、丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が目の前に立っていた。
「うわっ 何だお前!」
「死神だよ」
 死神と名乗った男は、眼鏡の奥の優しげな目を細める。
「あ〜 宗教は俺、興味ないんで!」
 横をすり抜けて逃げようとした藤木の手首を、死神は素早くつかんだ。
「宗教の勧誘じゃないよ。だいたい君、お布施を巻き上げようにも、財布が空っぽじゃないか」
 背中にゾッと寒気が走る。
「何で知ってんだよ」
「これでも一応神様だからね」
 藤木は改めて死神の方に視線をやった。その体は半透明で、向こう側の風景が透けて見える。確かに普通の人間ではないらしい。
「死神って言ったか?」
「うん」
「死神って顔じゃねぇなぁ……」
「僕だって福の神に生まれたかったよ。でも神の世界に職業選択の自由はないからね。死神として最善を尽くすしかない」
 死神として最善…… それはつまり、お前を殺すという意味か? 藤木は真っ青になって叫んだ。
「死にたくねぇ! さっきのは気の迷いだ。本当は死にたくなんかないんだ! 助けてくれ、お願いだから助けてくれよ。誰か……」
 キョロキョロと周囲を見回し挙動不審になる藤木の前で、死神はため息をついた。
「落ち着いてよ。さっき僕は何て言った?『飛び込め』じゃなく『飛び込むのはやめて欲しい』って頼んだんだよ?」
 死神は道沿いの線路を指差す。
「東武東上線は人身事故が多いんだ。迷惑してるんだよね。『死神がいる』なんて噂になってさ。この沿線は僕の管轄だけど、みんな人間が作った社会に押しつぶされて自殺に追い込まれるのに。何でも神様のせいにしないで欲しいよね」
 顔といい、理屈っぽさといい、全く死神らしくない死神だと藤木はあきれた。
「俺も押しつぶされたクチだな」
「大丈夫。まだいくらでもやりようはあるよ」
「死神に励まされてもなぁ……」
 死神はいかにも人の好さそうな笑顔で藤木を見つめる。
「僕は君を救おうと思って、こうやって出てきたんだ」
「借金を肩代わりしてくれるのか!」
「イヤだよ、そんなの。そうじゃなくて、君にも出来る簡単なお仕事を教えてあげる」
 藤木はバカにされたように感じ、ムッとした。しかし仕事が苦手なのは事実だから言い返せない。
「簡単な仕事じゃ時給も安いだろ」
「そうでもないと思うよ。人間って、本当に困った時にはいくらでもお金を出すから」
「困った時?」
 死神はにっこりしてうなずく。
「人助けの仕事だ。悪くないだろう」
「柄じゃねぇな……」
 しかし四の五の言える状況ではない。
「どんなことをすれば良いんだ?」
「まずは自宅のドアに、
『スピリチュアル・アドバイザー』
 と書いた看板を掲げる」
「何だそれ、怪しい!」
「昔は医者になるよう勧めてたんだけど、今は法律が厳しくてね。ここからが肝心だよ」
 死神の真剣な眼差しにつられて、藤木も真面目に耳を傾けた。
「重病人か、その家族か関係者が、君に連絡してくるようになる」
「看板一枚で、そんな上手くいくか?」
「どれだけ医学が進歩しても、治らない病気はまだ沢山ある。そういう人たちは血まなこになってすがるための藁を探している。金の泉はそこだ」
 死神の瞳が冷たく光り、気温まで下がったようだ。藤木は二の腕をさすった。
「君が病人の寝床へ行くと、死神が見えるはずだ。頭の側にいたら、その人はもう寿命だ。どうにもならないから手を出しちゃいけない。でももし足の側にいたら、まだ命が残っている。君はこう唱えるんだ。
『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』
 それでパンパンって二回手を叩けば……」
「バカバカしい」
 呪文を聞いた途端、藤木は時間をムダにしたように感じてうんざりした。
「信じてないね?」
「信じられるかよ。まあ良いや。お前は悪い奴には見えないし、話しかけてくれて嬉しかったよ。東武東上線に飛び込むことはないから心配するな」
 死神は丸い頬っぺたを赤らめた。
「僕の気持ち、分かってくれた?」
「は?」
「実を言うとね、君を好きになってしまったんだ」
 別の意味で血の気が引く。
「お前、男だろ!」
「僕、ゲイなんだよ。性的マイノリティとかLGBTとか、最近よくニュースで流れるだろう?」
「さぁ…… ニュースなんて見ないからな」
「Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー。研究によると人間の十人に一人はこういう性的マイノリティで、それは神の世界でも……」
「分かった、分かったから、もう分からない話はやめてくれ」
「分かってないんじゃないか」
 死神は不満げに唇をとがらせる。
「要するに、お前は男でありながら男の俺を気に入ったと」
「そうそう」
「悪いが俺にそっちの趣味はない」
「僕も別に、恋人になりたい訳じゃないんだ。遠くから君を見守っているだけで満足だよ。内気だからね」
 こんな堂々とした内気があるものか。
「俺のどこが良いんだ」
「ダメなところが。きっと君は、僕を必要としてくれる」
 何もかも見通す神の目が、藤木の心をのぞき込む。
「ねえ、だまされたと思ってやってみてよ。スピリチュアル・アドバイザーの仕事。僕は君を大切に思ってるんだから、絶対上手くいくって」
「他にやることもないしな……『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』」
 藤木が小さく二回手を叩くと、死神は現れた時と同じように唐突に、フッと消えた。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:45| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その2)

 借金まみれになると白昼夢を見るようになるのか。ストレスがたまっているせいだな。アパートに帰った藤木は最後のペヤングを食べ、ごろりと横になった。
 右手にダンボールが当たる。昔、アマゾンで買い物した時に、商品が入っていた箱だ。俺もあの頃はまだ、クレジットカードが使えた……
 アホ過ぎるな。藤木は一人、ニヤニヤ笑いながら、ダンボールにボールペンで「スピリチュアル・アドバイザー」と書き込んだ。そして死神に言われた通り、ガムテープでドアに貼ってみた。借金取りが、
「とうとう頭がおかしくなったか」
 と怖がって、一回くらいはピンポンを押さずに帰ってくれるかもしれない。無理か。無理だな。ははは……
 本当に発狂したかのように藤木が笑い続けていると、携帯電話が鳴った。幼なじみの淳二からだ。藤木は生き返った気持ちで通話を受けた。
「淳二! 久しぶりだなぁ〜 元気にしてるか?」
「金返せ……」
 地獄の罪人のうめき声を思わせる、低くかすれた声だった。藤木はすっかり忘れていたが、淳二の部屋から金を盗んでとんずらしたことが前にあった。それでしばらく連絡しなかったんだっけか。
「金返せよ、金…… ゴホッ ゴホゴホゴホッ」
「何だお前、風邪か?」
「分かんねーけど、熱で…… ゴホッ もう死ぬかと思ったら、お前に盗まれた金のことが、悔しくて…… ゴホッゴホッ」
「熱くらいで大袈裟だなぁ! 今からお前んち行くよ。金は無いけど」
「金無いなら来るな……」
 淳二の意見は気にせずに、藤木は一時間ほど歩いて淳二の部屋へ行った。無職だと移動にいくらでも時間をかけられるのが便利だ。腹は減るが。
 淳二は玄関の鍵もかけずに、ベッドに横たわって荒く息をしていた。靴はひっくり返り、そのすぐそばに中身が入ったままのコンビニの袋が落ちている。外出先で体調を崩し、朦朧としたまま食べ物を買い、どうにか帰宅してベッドに倒れ込んだのだろう。藤木にも似た経験があったので推理するのは簡単だった。
「いただきま〜す!」
「俺のパン…… ゴホッ お前ほんと、鬼か。病人の食料を。ゴホゴホッ」
 袋の中のアンパンとポカリスエットを腹に収め、改めて淳二が寝ているベッドを見ると、足の側に半透明の男が立っていた。
「もし足の側にいたら、まだ命が残っている。君はこう唱えるんだ」
 死神の言葉が脳裏によみがえる。藤木はほとんど無意識のうちに、
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 とつぶやき、手を二回打った。半透明の男、おそらくこの辺りを管轄している死神は、淳二を見つめる姿勢のままフッと消えた。
「金を盗られ、パンとポカリまで…… あれ?」
 淳二は上半身を起こす。
「急に頭が痛くなくなった。のども苦しくない」
「俺が治したんだよ!」
「はぁ?」
 藤木をにらみつけた淳二の腹が、ぐぅ〜っと鳴った。
「とりあえずピザ取ろうぜ! もちろんお前の金で」
「クソ…… でも腹減って買い物行けないし、藤木に金渡してもそのままいなくなるだろうし」
 気の弱い淳二は藤木に言われるまま、ピザ三枚にライスコロッケとアイスまで注文させられた。
「持つべきものは友だねぇ」
 藤木は死のうと考えたことなどころりと忘れ、上機嫌で食事の大半を食べた。
「いや〜 満腹、満腹」
「なぁ、藤木。今日のことをネタにして漫画描いても良いか?」
 淳二は健康を取り戻してもなお陰気な顔を藤木に向けた。
「あぁ、お前、絵が上手かったよな。まだ漫画なんて描いてたんだ」
「ブログで連載してて、けっこう人気があるんだよ」
 淳二はノートパソコンを立ち上げ、少し誇らしげに自分のページを見せた。
 藤木はニヤリと笑う。
「何だよ、パソコンまで盗んだら今度こそ警察行くからな!」
「違うよ。もう一つネタをやる。俺、スピリチュアル・アドバイザーになったんだ」
 淳二はギャハハハと目に涙をにじませるほど大笑いした。
「お前、どこまで堕ちていくんだ!」
「今日の病気も俺が治したって言い張ってるってさ、面白おかしく描けよ」
「あんまり痛々しくて、笑えるように描けるかなぁ……」
「痛々しいって言うな! 俺は本気だよ。それで、連絡先として俺の携帯のメールアドレスをブログに載せて欲しい」
 淳二は心配そうに藤木を見る。
「変なメールがいっぱい来るようになるぞ」
「構わない」
「あと盗癖があるから気を付けろって書くからな。こっちが訴えられたら困る」
「お前んとこ以外で盗みなんてしねーよ。他は借りたまま返してないだけだ」
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:40| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その3)

 藤木自身、半信半疑だった。しかし、怒濤のような宣伝メール、いたずらメールの中に、ほんの数通、真剣な悩み相談があった。藤木はふんだんにある時間を使い、一人ずつ会いに行った。
「兄が無気力になってしまったんです。しゃべらないし、外にも出ないし……」
 女はそばかすの上を流れる涙をハンカチでぬぐった。
「お兄さんはどこに?」
「はい、こちらに」
 二階の寝室へ行くと、無表情の男がベッドで寝ていた。藤木にあいさつすることも、妹の方を向くこともなく、ぼんやり天井を見ている。
「朝から夜中まで、毎日休みなく働いていたんですけど、急に会社に行くのをやめてしまって、それからはずっとこんなで……」
 男の足元には、半透明の男が立っている。ぎりぎりと縛るように、お兄さんをねめつけながら。
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!
 死神は消え失せ、男の目に生気が戻り、妹と藤木を交互に見つめる。
「この人は……?」
「もう大丈夫なの、お兄ちゃん!」
「大丈夫って何が? どうでも良いけど腹減ったな」
 良かった、良かった、と言って泣きじゃくる妹に困惑し、男は照れ笑いを浮かべた。
「お兄さんに美味しいものをたらふく食べさせてあげなさい」
 藤木がうやうやしく命じると、妹が近付いてきて小さな声で言った。
「あの、お礼はおいくらでしょう。私たちそんなに余裕がなくて……」
 妹の様子から、兄が回復した後のことなど考えずに、遮二無二なってメールを寄越したのだと分かった。
 藤木も治した後のことなど考えていない。
「うーん、一週間分の食費くらいあるとありがたいですね。携帯電話の支払いももうすぐだな。あとは……」
 ブツブツつぶやき続ける藤木を見上げ、女はかすかに首を傾げて部屋を出た。
「今、家にある現金はこれだけです。もし足りないようなら、お給料日の後にお届けします」
 戻ってきた女の手にはピンク色の封筒があった。中をのぞくと四万円入っている。藤木の顔が真夏のカナブンのようにビガッと光った。
 金だ! 金だ!
 恋い焦がれていた一万円札!
「これで良いですよ。持って来たけりゃいくらでも持って来れば良いけど、取り立てになんて来ないです。取り立て屋は本当にイヤですからね……」
 藤木はヘラヘラ笑い、ペコペコおじぎをしながら、兄妹の家を出た。
 四万円あれば、ペヤングを何個買えるだろう。いっぱい、だ。一生困らないほどのペヤング!

 藤木に兄を助けてもらった妹は、追加でお礼を払う代わりに、ツイッターで藤木を褒め称えた。その情報はネット上を駆けめぐり、同じ悩みを持つ者が次々に藤木を呼んだ。

 自殺未遂を繰り返し、腕が傷だらけの少女。
 アルコール依存症で寝たきりの看護師。
 二日連続で徹夜をした後、ばったり倒れたシステムエンジニア。
 死神はみな頭側ではなく足元にいたので、藤木はいともたやすく消すことが出来た。
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!

 東京には、死神に取り憑かれた人間があふれ返っている。
 宝の山だ! 金の泉だ!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:36| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その4)

 藤木は半年もかからずに借金を完済し、一年後には金持ちになっていた。億ションを買い、銀座に通い、毎夜美しい女たちを味わった。
 ペヤングは二度と食べなかった。

 多過ぎる客をさばき切れなくなった藤木は、相談料の最低金額を五十万円に設定した。これで命が買えるのだ。なんて良心的なのだろう。
 予約は午前と午後に一人ずつ。毎日百万稼げたら十分だ。もともとあくせく働くのは大嫌いだった。これからは欲張らずにのんびり暮らそう。
「こいつが死ぬと、家事をやる奴がいなくなって困るんだ。生き返らせてくれ」
 依頼人の爺さんは布団に寝かされている婆さんを指差した。周囲には紙くずや汚れた下着が散乱し、家中ひどい臭いだった。
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。これ以上長生きさせることは出来ません」
 死神は婆さんの枕元で正座している。婆さんの表情も、心なしか、死ねることにホッとしているように見えた。
「どんな重病人でも治せるっていうから呼んだのに。詐欺師か!」
 爺さんは手近なところにあった物を藤木に投げつけた。それは使用済みの高齢者用おむつで、藤木は借金取りに追われた時とも、最初に死神に出会った時とも違う、言い知れぬ恐怖を感じた。
「まずは…… 掃除しませんか?」
 藤木もそれほど綺麗好きという訳ではなかったが、こんなゴミ溜めのような場所で次々汚物をぶつけられたら話も出来ない。
「だから早く、こいつを起き上がらせろと言ってるんだ!」
 爺さんはあごで布団を指し示す。
「この方はもうすぐ亡くなるんですから、自分で何でもやらないと……」
 爺さんが再びおむつを振り上げたので、藤木は相談料をもらうのをあきらめ逃げ出した。

「してる最中に倒れちゃったのよ」
 赤いスリップの肩ひもがはらりと落ちて、藤木の視線は女の肌に釘付けになる。しかしそれよりも、明らかに不自然ないびきをかいて寝ている、全裸のおっさんから目が離せない。
「救急車、呼ばなかったんですか?」
「だって、あなたが助けてくれるんでしょ?」
 死神はおっさんの頭のそばに立ち、時々腰を屈めてまぶたを引っ張り様子を見ている。まるで医者のようだ。
「別に死んだって良いのよ。ただその前に遺言状を書かせたいの。家族じゃなくあたしに遺産が入るように」
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。これ以上長生きさせることは出来ません」
「だ・か・らぁ、一瞬目が覚めればそれで良いんだって。出来るんでしょ?」
「無理ですね……」
 藤木がおずおず答えると、女の眉毛が急につり上がった。
「テメェ、帰れよ! 役立たず!」
 藤木の背中に的確な蹴りが入る。ムカついたが、こういう女の後ろに男、下手したら恐ろしい組織がいることくらい、藤木でも容易に想像がついた。藤木がやれるのはたった一つ。背骨を折られないうちに部屋から逃げるだけだ。

 次の客も、次の次の客も、死神は頭の方に立っていた。助かるかどうかに関係なく相談料を受け取る気でいたが、五十万どころか交通費ももらえずに追い出される。
 そんなことが続くうち、
「藤木の蘇生術はインチキ」
 という噂が立った。良い評判より悪い評判の方が圧倒的に広まるのが早い。みな誰かの悪口を言いたくてうずうずしているのだ。
 藤木の仕事は激減し、収入はゼロになり、事務所を維持する経費だけが虚しく消えていった。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:29| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする